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期せずして回顧

ピアノ

家庭教師先のお宅では指導が終わった後にお茶をいただきながらしばらくお母様と談笑するのが習慣であり,その時間に生徒さんの学園祭のビデオなど見せていただくことがある(ほぼ「待遇のいいガヴァネス」状態である)。今日もお母様がお茶を出してくださったあと,いそいそとビデオをテレビにつなぎ始めた。ちょうどこの前の日曜日に生徒さんがお琴の発表会だったと伺っていたので,ああそれなのかなと思っていたら,「先生,この前の演奏会なんですけど,録音って買われました?」と聞かれた(おそらく演奏会全体の録音CDを3000円で買うことができる)。いや,さすがに3000円も出して買う気にはならなかったのでケチってしまいました,と正直に答えると,「たぶん買ってらっしゃらないだろうと思って,録画しておきました」と言われた。いやはやこれは,とんでもないサプライズである。ピアノの会での演奏会では個人での録音・録画が禁止されているので,自分の演奏場面を見るのなど,実に中3のコンクール以来くらいではなかろうか。しかも以前に書いた通り,あの日は予想外の事態が立て続けに起こっており,普段以上にルックスに自信がない。髪も本当なら巻いたりしたかった。
そんな思い出が去来する頭で恐々画面に目を向けて,舞台に登場した私を見て最初に思ったのは,ああやっぱり二の腕をもう少し何とかせにゃいかん,という,全く演奏とは関係ないことであった。そしてボブというヘアスタイルは,そのままだと横から髪が顔にかかってしまい,普段以上の陰湿さを演出してしまうことも判明。今週末はどうしてでも,顔のサイドはすっきりさせなければ。
肝心の演奏の方は,やはり自分で聴いているのと,会場で響いているのを聴くのとでは違うのだなぁという当たり前の感想を持ち,少し1楽章に不満を持った。2・3楽章はまあまあよかったけれども。そしてやっぱり,私の演奏は真面目であった。色気はなかった。ない袖は振れません。ちなみにこの時は,フランスものの中でもラヴェル作品が際立って持つ「切なさ」やら「物憂さ」を表現しようと,高速バスの中ではありとあらゆる切ない曲を聴いて「切なさ」というのを叩き込んでいた覚えがある。あなたの隠すあの娘のもとへあなたを早く渡してしまうまで……あああ切ない!とか,君には何でも話せるよと笑う顔が寂しかった……「君には何でも話せるよ」って客観的にはとてもいい関係なのに切ない!とか,I guess I need you, baby……guessというのがとても切ない!とか。
真面目な話が,『ご近所物語』の実果子ではないけれども,「切ない」という感情が私にはよくわからんのである。広辞苑には「胸がしめつけられる思いでつらい」とある。もちろんそんな思いをしたことはある。ただ私なら「胸が痛い」と表現する。「切ない」というのは繊細でとても美しい言葉だと思うけれども,ラブソングや少女漫画で濫用されて,やや安っぽくなってしまった感がある。だから個人的にはあまり使いたくない。
ただやはり「胸が痛い」と「切ない」とは若干ニュアンスが違うのだろう。それを理解できないというのは,音楽を嗜む人間として,また文章を書く人間として,さらには女として,致命的なことなのかもしれない。わかるようになりたいもんですね,「切ない」。