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The Wanderings of Oisin

勉強

'Give me the world if Thou wilt, but grant me an asylum for my affections.'---Tulka

半分楽しみにして,半分怯えていた「アシーンの放浪」読書会。この詩はイェイツのデビュー作で,ケルトの古い伝承に取材するというアイルランド文芸復興運動の精神を体現したものでもあり,少なくとも私にとっては,とても重要な詩なのです。どれほど重要かと言うと,卒演が終わったら実家に帰るつもりだったのを,これがあるというので,日にちをずらしたほど。私が毎年どれほど帰省を優位に置いているか考えていただければおわかりいただけるであろうか。それほど重要なのである。
最初の発表で,この詩が発表された時代背景を考えると,という視点が提示され,いきなりガーン,となる。だって卒論で扱ったまさにその時代なのに。ホーム・ルールの時代なのに。なんで私思い至らなかったんだろう。もしかしてそういう視点から見れば他にも色々見えたかもしれないのに。と,穴があれば入りたい気分になった。
私の発表では,特に女性が2羽の老ワシにつながれて囚われている,という表象について,自分なりの見解を出してみようと試みた。従来の見解では老ワシがイングランド,女性がアイルランドの表象ではないかと言われているけれど,しかしワシには「古い時代のことばかりを考える」という描写があって,もしかしてこのワシは尚古趣味的な従来のケルティック・リヴァイヴァリズムを指しているとも取れるのではないかしら!という点を指摘してみたが,先生に「でもこの詩自体尚古趣味的よね」と言われ,はいそうです,と引き下がらざるを得なかった。これはまあ,単純に自分の関心に引き付けすぎた結果というやつ。
"wandering(彷徨,放浪)"という状態の持つ意味だとか,アシーンがそれぞれに訪れる島のことだとか,色々と議論が盛り上がり,かなり有意義な集まりであった。締めくくりに先生が「関西の方でやっているイェイツ研究会は200回を超えるようですが,私たちもそれを目指してがんばりましょう」と冗談交じりにおっしゃっていて,みんなで笑ったが,しかしこういう,学生時代の知的なソシアビリテがずっと続くというのは,結果的に学者になるにしろならないにしろ,すごく素敵なことだなぁ,と思った。私も皆さんについていけるよう,畑は違うながらも,精々がんばりたいものです。
今日は今期最後の読書会ということで,その後打ち上げがあった。前期は学年的に上の人がかなり多かったこともあったのだが,今回は全体の学年がそれぞれ近かったりもして,和気藹々ととても楽しかった。共感覚の持ち主である博士の女性の方に私の名前を鑑定していただくと,私の(名前の)オーラは紫なのだとか。おお,高貴な色。何とはなしに嬉しい。そういえば私が今までピアノを弾いていて,一番うれしかった褒め言葉は「青いオーラが見えた」なんですよ,と話すと,それは何とはなしに嬉しいよね,と共感していただけた。
しかし一次会がとても楽しかったので,今回はぜひとも二次会に参加したかったところだったのだけど,バスの時間が近かったこともあり,私は一次会の締めの直前で退席させていただいた。また夏に期待しよう。そして夏も,イェイツ読書会をがんばろう。決意が新たになる,いい集まりであった。