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4ヶ月,3週と2日

映画

人間は大別して,人を巻き込むタイプと人に巻き込まれるタイプとに二分される。同程度巻き込みつつ巻き込まれるタイプなんて,そんな器用な生き方をすることのできる人はいないんじゃないか。そして女の場合,それはものすごく顕著になる。私は不幸にして「巻き込まれる」タイプなので,この映画を見る時には,ルームメイトのために奔走するオティリアの目線で始終イライラしていたが,じゃあ「巻き込む」タイプの女がこれを見た場合,やっぱりオティリアの目線でイライラするのではなかろうかと思って,なんだか脱力してしまった。巻き込むタイプの女というのは,自分が人を巻き込んでいることをまったく意識していないのだ。まっっったく。約束を破ろうが,適当なことをしようが,悪びれる様子もない。だから当然,協力してくれた人たちに感謝もしないし。この映画の中のガビツァのように。ん?しかし,ここまで書いて思ったのだけど,じゃあもしかして私もまた,「人を巻き込みつつその自覚もなしにオティリアに感情移入してイライラしている巻き込み女」に分類される危険性があるのではないか。そう考えると果てしなく気になってきたので,もし私に巻き込まれて迷惑を蒙った経験が一度なりともおありの方は,こっそりメールをいただければ,誠心誠意謝ります。
でも何事にもいい加減で責任感も罪悪感もない人のことを,放っておけない気持ちは痛いほどよくわかるのだ。私はこの映画を見て,オティリアちょっとそれはやりすぎなんじゃないか?と思うことが何度もあったけれども,たぶん私も人からそう見られることが多いのだろう。だって現に,そう言われたことが何度もあるし。本当に寛容な人だね,と。寛容,というのは的確な表現であって,その人なり行動なりを認めていたり許していたりはしないけれども,だからといってシャットアウトしたりもしない,という立場。オティリアもまた,「あなたのバカな考えにはいい加減うんざりだ」と断言しながらも,それでも力を尽くしてガビツァを助けるべく奔走する。闇医者にレイプまでされながら(!),中絶した胎児と胎盤を処分すべく,危険な夜の街を徘徊までしながら。危険を連想させるシーンが何度もあって,そのたびに私たち観客はオティリアの目線で冷や冷やするのだが,現実はあっけない。胎児と胎盤を処分してオティリアがやっとの思いで帰ってくると,ガビツァ本人はあろうことかレストランにいて,あろうことか肉の盛り合わせを食べていたりする(!)。「お腹がぺこぺこだったの」などと言いながら。胎児と胎盤を思いっきり見て触ってしまったオティリアは,食欲も消え失せているというのに。生も,性も,あっけない。非常にあっけない。
秀逸なのは,この1日のことで,多くを学び考えたのがルームメイトのオティリアであって,当人であるガビツァは何も考えていないということだ。なんてリアルなお話でしょう。中絶に出かけていく時も,あれは持ったか,これは持ったか,と細々と気を働かせるのはオティリアの方(当人ガビツァは呑気に脱毛していたりする)。いざ中絶となって,お金が足りないなら体で払えというようなことを言われて,観念して真っ先に服を脱ぎ始めるのもオティリアの方(当人ガビツァは,震えながらもトイレにこもって水を流して,音が聞こえないようにしていたりする)。身近な人の中絶を見て,自分がもしも同じ状況にあったらと考え,恋人アディに真剣に色々と話すのもオティリア(ちなみにアディは,「妊娠するわけがない」とか,「妊娠したら結婚でもしよう」とか,いたっていい加減であり,大体がオティリアとセックスすることしか考えていない)。アディの家から何度も心配してホテルに電話をかけるのもオティリア(当人ガビツァは電話に出ず,「電話がうるさいからバスルームに置いた」などと言う)。そして前述したとおり,全ての処置が終わって食欲がなくなるのはオティリア(当人ガビツァは肉を食っている。肉を!)。まじかよ。まじかよ。まじなのです。いやぁ,そうなんだよなぁ。はぁ,本当に疲れた,骨を折った,と思うのはこういう場合「巻き込まれた」人間であって,巻き込んだ人間はあっさりしている。感謝の気持ちすらないことに腹を立て,後日他の誰かに話したりしても,「だって助けたのはあなたの勝手でしょ」みたいなことを言われたりする。お人好しも大概にしなよ,みたいなことを言われたりする。全ての意味を込めて,優しいねぇ,と言われたりもする。そうです,助けたのは私です。助けることを決めたのも私です。でも,いやね,そういう問題じゃないのよこっちとしては。助けざるを得ない状況というのが,あるんですよ。いいんかい,世の中こんなので。
全ての「巻き込まれ」キャラの方にお勧めです。ものすごーく共感できること間違いなし。さすが,パルムドール。とこう書いて,「あたし巻き込まれキャラだから見よう!」と思ってくれる「巻き込み」キャラの人が何人いるか/いそうか,ちょっと数えてみようかしら,ふふん。ごめんなさい,ちょっとやるせなさ過ぎて,性格が悪化している。まぁでも世の中結局,生きていきにくいひとはとことん苦労して生きていくし,何だかんだ適当に世渡りできてしまう人は,ずっとそのまま生きていくんだろうなぁ。前者には前者の悩みがあるし,後者には後者の悩みもあるのだろうから,どちらがいいだの,どちらが悪いだのとは言えないのだろうけど。適当に世渡りできるというのも,才能だと思うし。

正直に言うと,チャウシェスク独裁政権下という時代設定には何か意味があったのか,いまいちよくわからなかった。闇市?中絶禁止?根本的な不自由さ?
地元にはかなり大きいTSUTAYAがあって,『デトロイト・メタル・シティ』の最新巻が借りられるかと妹と出向いたのだけど,レンタル開始は18日とのことであった。まぁでも,それで色々と借りられたからいいや。新作・準新作を4本まとめて借りると1000円になるとかで,借りすぎてしまったけれど(こういう時,妹と協力できるのは大変助かる)。次に見るのは「あの日の指輪を待つきみへ」にしようかな,それとも「幸せになるための27のドレス」にしようかな。ちなみに「Once ダブリンの街角で」もあったのだが,いつも気が乗らなくて借りられていない。今回は「あの日〜」がアイルランドものだからまあ,いいのだけど。この記述からもおわかりいただけるかと存じますが,何か特に専攻している地域等々がある場合,そこについて描いた映画やら作品やらがあると,それを見ていなかったり読んでいなかったりするというただそれだけで,ものすごい罪悪感に襲われます。「アンジェラの灰」やら「麦の穂を揺らす風」をまだ見ていないということが,私にとってどれほどの苦痛であることか。フランス語選択やらフランス史の人たちがあんなにフランスを盲目的に愛しているの,すごいと思う。私はなんだかんだで,スペイン語選択だなんて有り得ないとか,まったく似合っていないとか散々な言われようだったけれども,それでもヨーロッパ映画ではスペイン映画の雰囲気がいちばん好き。