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あの日の指輪を待つきみへ

映画

最初に舞台がアイルランド,と数日前に書いたのを訂正。舞台はミシガンであった。アイルランドはちらっと出てくるだけで,しかも「北」アイルランドベルファストであった。北アイルランドアイルランドは違うのだ。それを最初にお断りしておきます。
とっっっても,消化不良な映画だった,と個人的には思う。エセル=アンと娘マリーの間の溝,ついに結ばれることのなかったエセル=アンとテディの悲恋,テディの友人ジャックとチャックのエセル=アンへの想い,戦争の悲劇,北アイルランド紛争,等々,色々とテーマがあるのに/ありすぎて,何ひとつ回収できていない。時代の波+運命に引き裂かれた大恋愛もの,というジャンル(どんなジャンルだ)に分けられるのだろうが,それにしちゃなあなあで終わっている。えっ,それでいいの,じゃあ今までの50年間なんだったのよ,という感じで。同じくこの映画をご覧になった先輩は「『惜しい』映画だ」と評されていたが,私としては「惜しい」なんて手ぬるい批評である(すみません)。大風呂敷を広げるだけ広げて,ああっと,中身詰め終わらなかった,という失敗が許されるのは修士論文までであって,いやしくもそれでお金を取ろうとするものが,そんな失敗しちゃいけませんよ,きっと。
そもそも,エセル=アンの言動の勝手さに腹が立って腹が立って。テディを失って悲しい,そりゃわかる。痛いほどよくわかる。しかしいくらテディが後を託したからと言って,テディを本当に恋しく思っており,なおかつチャックに対してそんな気がないのならば,チャックと結婚なんてしちゃいかんし,「10年間拒んだ末に結婚,5年後に娘が誕生」なんてチャックにも娘マリーにも失礼だし,それでもなお現実を受け止めきれなくてマリーに冷たくする,なんて言語道断だし。とにかく勝手極まりないのである。何より口癖のように言っている「私のことは関係ないでしょう」という言葉,関係ないならみんながあんたを心配するかい!という話である。もう腹が立って仕方なく,いや,腸が煮えくりかえって仕方がなく,一番感動的であるはずのシーンで,もうこんなひねくれ婆さん放っておけばいいのに,と思ってしまう始末であった。なまじモテるからって調子に乗りやがって,というのは全く見当違いであるが私の中では見当違いではない。百歩譲ってミーシャ・バートンはとっても可愛かった(無意味に脱ぎまくっていたけれど)。ちなみにこれらの不満を件の先輩にまくし立てると,「〜すべきだ/〜すべきでない,というところがいかにもあなたらしい感想だ」と言われ,ぎょっとした。
だってこういうテーマの映画で,一番心に残ったのがIRAテロリストの「ヒザとタマ,どっちをぶち抜かれたい?」という台詞である,ということが何よりの証左だと思うのですよ。出たー,IRAの決め台詞(?)だー,と,もちろんこれはアイルランド近現代史をやっている者として感動したのだが。でもそれしか印象に残っていない,というのはちょっと。でもベルファストの青年の屈託のなさは,唯一この映画で素晴らしいと思えるところだった。市街地テロを止めるべく,「キャハルさんやめて!」と,テロリストの所へ直接走って行くなんて。

あの日の指輪を待つきみへ [DVD]

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というわけで何だかもやもやもやもやし,霧を晴らすために思いがけず勉学に精を出してしまった。