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こんなに こんなに 近くで見つめても

余暇


たった1コマの授業のために,片道30分かけて学校に行ったら休講だった。全く,学校から遠いところなんかでひとり暮らしをするものではないとしみじみ思うのはこんな時である。
虚脱感あふれる中,しかしこの道のりを無にしてはいけないと思い,読むように言われたDLB(Dictionary of Literary Biography)を探しに総合図書館へ赴いた。しかしこの配置の仕方がなかなかトリッキーであった。OPACで調べた時,すぐに出てきたのは第223巻のあたりだったのだが(私が求めていたのは15巻と20巻),要するに配架場所さえわかればあとは探せるわけだからと適当にクリックした。思えばこれが最初の間違いであった。「2階索引・抄録コーナー」とあったのでそこに向かったのだが,なぜだかそこには,巻数の大きいものから新しいものまでしかなかった。狐につままれたような気分とはこういうことを言う。なぜ,なぜ辞典や参考書の類をばらばらに配架するのか?よくわからないのだが,改めてきちんとOPACで,今度は15巻と20巻に的をしぼって検索してみると,「書庫」とある。書庫!あの,今にも首を吊った人がいそうな,あの書庫!私は相当のことがない限り(例えば1次史料があるとか)書庫には立ち入らないことにしているので,さっさと諦めて文学部図書館へ向かった。ここにはきちんと,わかりやすい形で配架されているはずなのである。しかしここにもDLBは見当たらない。またしてもOPACを開きなおすと,そのはずであった。配架場所は「文・英文」,要するに英米文学研究室なのに,私は「文」だけ見て早とちりしたのであった。私は相当のことがない限り,よそさまの研究室にはお邪魔しないことにしているので(あのアウェイ感がとんでもなく居心地が悪い),こうなったら縊死なさった方と巡り合っても仕方ないと覚悟を決めて書庫に立ち入ることにした。巡り合ったら巡り合ったで,黙ってカウンターに行き,これこれこうこうで,と事情を説明すればよいだけだ。あの,何のためだかよくわからない,というよりわかりたくない,「書庫入室者用・貸し出し非常ベル」がいくつも置いてあるカウンターに。
DLBが配架されているというのはE:200という棚番号で,そこは書庫の中でも3階であった。沈鬱な書庫の中,無意味に床がガラス張りなのに怯えながら(上階の床をガラス張りにするなんて,もう悪魔の所業としか思えない。設計者出て来い!)必死でDLBを探しまわったがなぜだか見当たらない。慣れない場所で奮闘するのも無駄だと諦め,書庫の本を棚に戻す作業をなさっていた職員の方に声をかけて一緒に探してもらったら,あった。代本板が。そしてそこには,こうあった。

地下に別置

へなへなと力が抜けかけたのも束の間,私が声をかけた方が親切で,「じゃあ一緒に地下に行きましょう」と配架場所に連れて行っていただき,やっと見つけることができた。
さて,私の足跡をたどってみましょう。総合図書館2階から文学部図書館に移り,そこからまた書庫へ入って3階,最後に地下でやっと巡り合ったわけだが,労力の割には,行動範囲はそこまで広くないのである。要するに,最初から最後まで,ずっとニアミスを繰り返していたわけです。近くにいたのにたどり着けなかったわけです。はぁ。いや,これ,ラブコメの王道パターンなんですけどね。最初から一番近くにいる存在をかすめつつかすめつつ,最後にはやっと結ばれるというのは。マリリン・モンローの時代から,今にいたるまで。自分でやってみたら意外にげんなりしました。まぁ,図書館で本を探す時なんて,いつでもそんなもんか。
暖かくなってきたので,ボディークリームの代わりに,4年前くらいに使って余っていた(要するに顔に付けるのは多少躊躇われる)ランコムの化粧水を体につけていたのだが,それもついになくなってしまった。ボディーローション的なものを買おう,でも冬に使っていたジョンソン&ジョンソンは,ベタつくからやめておこう……などと考えていてふと気づいたのだが,「ジョンソン&ジョンソン」って,「まえだまえだ」みたいなネーミング。我々ピアノ弾きがありがたく押し戴く,世界のスタインウェイ&サンズにしても,よくよく考えたら「スタインウェイと息子たち」である。映画会社大手ワーナーブラザーズは「千原兄弟」か。もうやめよう。