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Hyde as a folklorist

勉強

今日はゼミの予習をやりつつ,とりあえずハイドのフォークロア集の序文を全部読んでみた。なんでこの人がアイルランド語を大切に思っていたのか,だいたいわかった気がした。
本当だったら私はフォークロアの序文よりも内容に興味を持つはずなのだが,序文を読んで興奮するあたり,いいテーマに巡り合えたのだということなのでしょう。それに一昨日読んだフォークロアの内容は,あまりよくわからなかった。オシーンと聖パトリックの出会いの物語なのだが。

聖パトリックがアイルランドに来た時,エルフィン(Elphin)で石を運ぶオシーン(Oisín)に会う。洗礼させなさいと説く聖パトリックに対し,「それが何の役に立つのか」などとオシーンは最初反発するが,気絶した後,洗礼してくれるように頼む。聖パトリックは持っていた槍でオシーンの足を突き刺し,洗礼を施す。オシーンは自分が洗礼を受ければ「地獄にいる」フィーニアン団の戦士たちが救われると思ってそうしたのであったが,結局救われることはできなかった。
オシーンの息子オスカルは棍棒を手にし,また手一杯に緑の砂を得た。その緑の砂には撒かれると悪魔が近づけないという効能があった。それは聖パトリックが神から授かったものであり,そして棍棒は折れることはなかった。

アイルランドカラーの緑にしたのは,私のわけわからないポイントである。なぜオシーンは石を運んでいるのやら?なぜいきなり気絶した後に,いきなり洗礼してくれるように頼んだりするのやら(どうも気絶している間にかつての仲間の夢を見て,自分が洗礼されれば仲間が助かると思ったらしいのだが)?そしてなぜ聖パトリックはオシーンの足を突き刺すなんて酷いことをするのやら?そしていきなりオスカル登場?なぜ?
文化人類学に憧憬を抱く者としては,こういうのを逐一理論に照らし合わせて検証していかなければならないところだろうが,とりあえず今はあと半年で歴史学修士論文を書かなければならない身ですので,自粛しておきます。しかし,ああ,気になる。