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2009年度歓送会

余暇

朝帰りついてから,15時過ぎ頃に学校に向かい,ひと通り用事を済ませたのちに歓送会に参加した。幹事の中世史の先輩と図書館でばったりお会いし,会場までご一緒させていただいたのだけど,参加人数は全員で13人だということで,「最後の晩餐」と命名されていた。
私=ピアノの会,というイメージがどうも固定してしまったらしくて,「(お前のアイデンティティは)西洋史なのか,それともピアノの会なのか?」「ピアノの会である前に西洋史なのか,それともその逆なのか」「アイデンティティなどを研究しているのならそのへんはっきりさせろ」と先輩方から詰め寄られた。ピアノの会は1年生の時からで西洋史は3年からですしね,でも最近は西洋史なんじゃないでしょうか,とお茶を濁しておいた。
でも,どうなんでしょうね。帰属意識なんていうものは,その時々によって変わる気がします。勉強している時は西洋史だけれども,P会のメンバーと遊んでいる時はP会に帰属意識があるし,アイデンティティなんて,本当はそういうふうに柔軟性に富んだものなんだろう。「○○であって××でない」なんてものではないはずなのだ。少なくとも私は,集団に所属はするし,帰属意識も持つけれども,忠誠心まではないと思う。それはどの団体に対してもだが。というよりも,集団に対して忠誠心を持ちすぎていて,何をやるにも誰と一緒の時もその忠誠心を持ち出して他の人に理解を求める人や,そのメンタリティを,私は少しも理解できない。要するに自らを「○○の一員」とアイデンティファイして,周りにもそうした理解を求める人たちのことであるが。百歩譲って理解はできるとしても,それ以上のことは絶対にできない。冗談じゃない。私にとって,××さんというのは「○○の一員の××さん」ではなく,××さんでしかない。というかそこまでいくと,もはや盲信だと思う。そしてそういう,自らの帰属団体を盲信する人は,意外に多い気がする。世の中の「閥」と呼ばれるものの多くは,そうした盲信が盲信を呼んで出来上がっていくものなのだろう。もちろん「閥」にも,人間関係が円滑に進むとか,素性の知れない人を最大限警戒することができるとか,プラスの側面はあると思うけれども。
そういえば私の最大の関心ごとである「アングロアイリッシュアイデンティティ」,私はずっと「イギリス側にもアイルランド側にも帰属することができない不安定さ」「イギリス人でもアイルランド人でもない」などと定義していたのだが,今月初めの中間報告の時,指導教官から「それは『イギリス人でもアイルランド人でもある』ではいけないのか」と言われ,答えに窮したことがあった。これも考えてみれば,そういうことかもしれない。ということは,ホーム・ルール体制には賛同しながら脱イングランド化(de-Anglicisation)を唱えるというのも,そういうことかもしれない。おお!
ということで,思わぬところから道が拓けた飲み会でした。先輩のあの詰問は,単なる酔っぱらいの絡みではなかったわけである。きちんと修論を仕上げることができたら,謝辞に先輩のお名前も一緒に書いておこうかしら。