読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

それでも恋するバルセロナ

映画

これは……ロマンティック・コメディと銘打ってはいるけれども結局のところおバカコメディだった気もするし,かと思えば深かった気もするし,ものすごく評価しづらい。的確に表すとするならば,映画館を出る時に後ろの女の子が言っていた「喜劇だねぇ」という一言であろう。
大学時代の親友,2ヵ月後に結婚を控えた優等生タイプのヴィッキー(レベッカ・ホール)と,恋人と別れたばかりの放埓なクリスティーナ(スカーレット・ヨハンソン)がバルセロナに旅行に行き,立ち寄ったレストランでフアン・アントニオ(ハビエル・バルデム)に「おいしいものを食べておいしいワインを飲んでセックスしにオビエドに行こう」などという誘いを受け(良い男の子は絶対に真似してはいけません),旅先の解放感もあってついつい行ってしまう。ちなみにオビエドというのはここだそうです。あたしゃ知らなかったので地図をチェック。

さてクリスティーナはわかりやすくフアン・アントニオに惹かれ,ヴィッキーはよせばいいのに抵抗しながらもついつい一夜を共にしてしまったおかげで,やっぱりわかりやすくフアン・アントニオに惹かれ,しかしやっぱりわかりやすくフアン・アントニオは一筋縄ではいかない男で,一筋縄ではいかない元奥さんマリア・エレーナ(ペネロペ・クルス)が闖入してきてしまったからさあ大変,という筋。まぁこれくらいなら,ネタばれはほぼないだろう。
要するにドタバタなのである。しかも,本人たちは真面目に思い悩んだりしているのに,それを傍から見ていると滑稽だという,まさに喜劇の王道。ヴィッキーに関してもクリスティーナに関してもそれ見たことか,という感じだし,フアン・アントニオやマリア・エレーナにしたところで一生懸命彼らの人生を生きていてこうなっている。一瞬スペインの生活にアメリカ人観光客が必要以上に入れこんでしまったが,結局はやっぱり私たちアメリカ人でしたすみません,という映画である……まぁあまりにもスペインをステレオタイプに描き過ぎなのではないか?という気はするにしても,あれがおそらくウディ・アレン流というやつなのだろう。
ペネロペに関しては既に多くの人が評価しているし,彼女はこれでアカデミー助演女優賞まで取っているし,いまさら私などが説明するまでもあるまい。何がすごいって,彼女は英語のスペイン語訛りを自在に使い分けられるのがすごいですよね。役柄に関しても,『エレジー』の真面目な淑女も大変よかったのだが,激情家の天才肌芸術家というのはやっぱり彼女の本領発揮であった。最初キャスティングを見た時には,えー,ちょっとわかりやすすぎじゃないか,とか思ったものだが。とにかく圧倒的な存在感と演技力であった。フアン・アントニオがマリア・エレーナを連れて帰宅した時,キッチンにいたクリスティーナが途端に背伸びした小娘にしか見えなくなった(実際そうだったのだが)のが素晴らしかった。
ぜひとも評価したい,いや崇めたてまつりたいのは,その「背伸びした小娘」を演じたスカーレット・ヨハンソンである。彼女には何かとアバズレだったり魔性の女だったりのイメージがあり,嫌いな女優ワーストランキングに堂々と名を連ねたこともあり,私も一時期嫌いだったのだが,『私がクマにキレた理由』を見てから好きになった。『クマキレ』ではとにかく不器用で真面目で,親の敷いたレールの上だけを歩いてきたのだがドロップアウトしてしまった女の子を演じており,それがとても自然体でかわいかったのだが,今回の役は,従来の得意な役柄である放埓な女の子に,『クマキレ』などで見せた真面目で純情な女の子が程良くミックスされた感じでとてもよかった。「こんなこともあんなこともしちゃった!」とフアン・アントニオとマリア・エレーナとの生活を嬉々としてヴィッキー(とそのつまらん夫)に語るところなど,完璧に「ワルぶった女の子」なのだが,しかしそれは生来のアウトローであるマリア・エレーナに敵うはずもない。
羽目をはずせばはずすほど揺り戻しが来るというのは皮肉である。どんなに自分を格好良く見せようと張り切ろうが,人間身の丈でしか生きられないということか。やっとこさヴィッキーが羽目をはずしかけたところですぐに失敗するというのも,要はヴィッキーの「身の丈」→あのつまらん夫,ということなのだろう(そう考えてみればこれはヴィッキーの壮大なマリッジブルー・ムービーと読むこともできなくもない)。複雑なようでなかなか単純な物語である,ということがこの映画のミソである。対立ばかりしていた男女が惹かれあうというのも然り,安心な男より刺激的な男についつい惹かれてしまうというのも然り。
ところで私は,映画を見る時というのはほぼ現実逃避なのである。現実逃避とまではいかなくても,気分転換なのである。非日常の世界を見て気分転換したいのである。さてここまで書くと,この映画をご覧になった人は私が何を言おうとしているのかおわかりでしょう。ええ,確かにバルセロナもアバンチュールも非日常でした。しかしながらいきなり冒頭にヴィッキーが修論執筆中であることを知り,さらにそのテーマがカタルーニャアイデンティティであることを知り,もう生きた心地がしませんでした。
……いや,でも,なんでこの女はそんな状況なのに夏休みにバルセロナに遊びに来ているんだ(ちょこっと資料調査みたいなこともしていたみたいだが)?なんで研究対象もスペイン文化なのに(しかも修士なのに),スペイン語で簡単な自己紹介くらいしかできないんだ(私もアイルランド語では自己紹介しかできないので人のことは言えないが,しかし第2外国語としてちらっとスペイン語をかじっただけの私でも,あれよりは話せる自信がある)?そもそもなんで修論執筆中に結婚なんかしているんだ?修論書いてからじゃダメなの?というわけで,最も謎なのはヴィッキーの生きざまであったかもしれない。とりあえず私はいつハビエル・バルデムに誘惑されても良いように,私の前でハビエルとペネロペがスペイン語で喧嘩を始めても居心地の悪い思いをしなくて良いように,スペイン語はぜひとも使えるようにしておきたいと思った。