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パラノイドパーク

映画

レンタルDVDを2本以上持って帰ると,必ず1本はノルマ化して,逆に大いなる桎梏となってしまう。明日返さなければならないので,昨日の夜中にこれ,ガス・ヴァン・サント監督『パラノイドパーク』を見たのだが,うーん,この世界観,好きな人は好きなのだろうけど,私には非常に辛かった。寝る前に見たのも間違いだったが,まぁひと晩寝れば何とかなるかと思いきや,朝もずーんと重苦しい気分であった(そして実は今も結構重苦しい)。ガス・ヴァン・サントは初体験だったのだが,ああ,これがこの人に定評のある「思春期の揺らぎや痛み」の描写なのだな,とひたすら客観的に思った。見てないけど,邦画で言えば『リリィ・シュシュ』とかああいう系統なのかもしれない。そして『リリィ・シュシュ』が好きだという人も多いから,きっとこの映画もファンが多いのだろうと思う。

高校生アレックスは近々親が離婚することになり,美人の彼女もいるがさして彼女には興味がなく,ただただ無気力に,趣味のスケボーばかりやっている。つるんでいるスケボー仲間,ジャレードの親が家を空けている週末,ジャレードの家に泊まるという計画を立てたが,行ってみるとジャレードは彼女と旅行に行くと言う。アレックスは仕方なく,最近ジャレードに連れて行ってもらった違法のスケボー公園「パラノイドパーク」に1人で向かい,スケートボーダーたちの滑りを見るともなく見ているが,公園に寝泊まりしている家出人の一団に声をかけられ,誘われるがまま通過する貨物列車に飛び乗るという遊びに興じる。しかしそれを線路警備員に見つかり,警棒でアレックスらを殴りながら貨車の横を走って追いかけてくる警備員を振り払おうと,アレックスがスケボーで警備員の頭を殴りつけた拍子に,警備員はバランスを崩して隣を走る線路の上に倒れる。するとそこへ走ってくる別の貨車。一瞬の出来事で,次に見た時には警備員は胴体を真っ二つに轢断されていた。あまりのショックに,アレックスはその場から逃げ去り,ありとあらゆる正当化を試みようとするが,心の重荷は取れない。別居中の父親に電話して告白しようともするが,それもできない。そのうちに新聞やテレビで轢断死体のニュースが取り上げられるようになる。遺体の頭に殴られたあとがあることから事件性を疑われ,刑事がアレックスの学校に来てスケボーを趣味とする生徒たちに話を聞いたりもし始める。ますます悩むアレックス。友達メイシーに「言えない悩みごとがあるならそれを手紙に書いてみろ,そしてそれは出さなくてもいい」と言われ,そのアドバイス通りにノートに事件を綴り始める。そしてそれを書き終わった時,アレックスはそのノートを燃やす。

と,このように書いてみたが,最初はこの一連の出来事が時系列をバラバラに分解された形で見せられる。以下のような感じで。

アレックスがノートの表紙にParanoid Parkと書く

独白で,最初にパラノイドパークに行った時のことが語られる(ジャレードに連れて行ってもらったこと)

ジャレードの家で過ごした週末のことが語られる

    • パラノイドパークで家出人3人に話しかけられたこと
    • 帰宅後(もうこの時点では事件は起こっている)


学校で数学の時間に校内放送で呼び出される(アレックス1人)

刑事に話を聞かれる

両親や彼女のこと

再び,昼食時に校内放送で呼び出される(学校のスケボー野郎全員)

教室に集められて話を聞かれる

実はこういう事件の捜査をしている,と刑事が遺体の写真を見せる

忘れようとしていた記憶がよみがえる

という感じ。描き方としては,ショッキングすぎて抱えきれず,断片的にしか残って/残していなかった記憶が,否応なしに遺体の写真を見せられたことでよみがえり,それからはすらすらと出てくるという,いわば「意識の流れ」みたいな感じなのだろうが,おかげで最初は「えっ,何?どういうこと?」という印象が否めない(そしてそれこそ,ガス・ヴァン・サントの狙いなのかもしれないけれども)。
私はあまり好きではないが,現実世界ではひたすらに無気力で虚脱的なアレックスを描きつつ,その合間合間にスローモーションかつ8ミリ映像(?)的なスケボーの映像が流れるという構成は印象的。「離婚とか,別れるとか,恋愛とかいう僕らの日常の小さなことよりももっと大きなことが世界で起こっている」と話しているアレックスだが,実は現実世界の桎梏(親の離婚とか,それを気に病んでしょっちゅうご飯を吐いている弟のこととか,自分とのセックスでロストバージンすることしか考えていない彼女とか)を何よりも重荷に感じていて,そしてそのことが現実逃避的になっている原因なのではないか。スケボーが趣味と言いながらそれほど楽しそうに見えないのは,スケボーが逃避手段でしかないからなのだろう。だから人殺しの原因になってしまったスケボーを,アレックスは河に投げ捨てる。慌てたとは言え,大切なスケボーをそんなに簡単に捨てるだろうか?故意ではないとはいえ,人を殺してしまった(しかもかなりおぞましい形で)ことさえも,アレックスにしてみれば現実の重荷がひとつ増えたに過ぎなかったのではないか,とすら思わされる。
轢死のシーンはそこまで「ギャーッ」と目を覆うようなものではないにしろ,割とショッキング,というかトラウマティックである。おそらく私の今の重苦しさも,8割方そこに起因する。警備員が電車に轢かれるのを見て,アレックスは自分のやったことが信じられずに貨車から下りて現場に戻るのだが,そこに行くと既に轢断されてしまった警備員の上半身がまだ生きていて,上半身を起こし(下半身がない場合これは適切な表現なのかわからないが),アレックスの方へと少し動く,という結構都市伝説っぽい感じなのだが,いやーあんな光景を見てしまったくせに,アレックスはよくも「なかったことにしよう」なんて思えるもんだと思う。
というわけで,救いのない作品が好きな人はどうぞ。私はちょっと,『キューティ・ブロンド』でも見て中和させないと,重苦しい気分がいつまでも続いてしまいそうです。今日美容院で受けたヘッドスパでさえも,この中和には奏功しなかったと見えるので。