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ココ・シャネル

映画

ココ・シャネルを敬愛してやまない私なので,この映画は公開前から楽しみにしていた(と言ってもシャネルは香水とファンデーションしか持っていないのだが)。やっぱりシャネルの伝記映画を観に行くなら,シャネルにオマージュを捧げた格好で行かなければならないだろうと変な意識が湧き,リトル・ブラック・ドレスを意識して黒いミニのワンピースを着て,ビジュー・ファンテジーを意識して大ぶりのネックレスを付け,もちろん香水はシャネルをつけて映画館に行った(シャネルコスプレとでも名付けたい)。
が,しかし。映画の途中でものすごく体調が悪くなり,冷や汗をかいていたというのもあるにはあるのだが,それを差し引いても何やらイマイチな出来の映画であった。これがテレビ番組の特集なら,まぁ上出来でしょう。しかしこれは映画である。伝記映画なのでネタばれとかは心配しなくてよいだろうから筋を書いておくと(嫌な方はこちらでUターンしてください),

1954年2月5日,70代のシャネル(シャーリー・マクレーン)は15年の沈黙を経てコレクションを発表する。しかしそれは大失敗に終わった。マルク(マルコム・マクダウェル)やアドリエンヌから慰められるシャネル。マルクからは「気持ちはわかるが負債も少なくないし,もうそろそろ諦めたほうが良い」と言われ続けているが,シャネルは「こんな経験は初めてではない」と気丈に振る舞い,昔を追想する。
シャネルの家は貧しく,母は病気であった。病気の母を手伝ううちにシャネルは針仕事が得意になる。母の死後,父はシャネルと妹の2人を孤児院に預け,「アメリカに行って仕事をし,落ち着いたら必ず迎えに来る」と言って姿を消してしまう。18歳の時シャネルは妹と別れ,アドリエンヌとともに孤児院を出てブティックのお針子として働き始める。そこの客である将校にアドリエンヌが見初められ,カフェでのデートについていった時,シャネルはその将校の友人であるエチエンヌ・バルサンに見初められる。店を辞め,エチエンヌ・バルサンの邸宅に招かれるシャネルだが,そこでは無為な生活が待っているばかりで,次第にシャネルは退屈し始める。そんな時バルサンの親友であるボーイ・カペルが邸宅を訪れ,上昇志向のあるシャネルとカペルは意気投合する。趣味で作っていた帽子をシャネルがポロの試合に被って行った時,貴婦人方に褒められたことから自信を持ち,自分の店を持ちたいと願うようになるが,カペルはそれを激励してくれる一方で,バルサンは本気にしない。さらに,バルサンは身分の違う自分との結婚を考えてすらいなかったということがわかり,シャネルはバルサンの邸宅を出てパリで自立する決意をする。
パリでアパートの3階を借り,極貧の中で帽子店を始めたシャネルであるが,客は来ない。そんな時にカペルが訪ねてきて,自分が出資するからもっといいところに店を出すべきだと諭し,カンボン通りに店を構える。これがシャネルのスタート,帽子店のオープンである。カペルともついに恋仲になり,ようやく物事は順調に進み始めた。
帽子作りに行き詰まっていた時,気晴らしにとアドリエンヌに誘われたドーヴィルへの旅行で,シャネルはジャージーの素材を使った服作りを始める。第一次世界大戦がはじまり,カペルは出征。ドーヴィルには疎開してきた女性や子供たちが大勢集まり,メイドがいなくても着ることのできるジャージー素材の服は大いに成功をおさめる。戦争も終わり,カペルも帰ってきたが,カペルはダイアナ・リスターと結婚してしまう。傷心のまま仕事に打ちこむシャネルのもとに,カペルから久しぶりの電話が入る。安定を求めたが間違いだった,もう一度やり直せるならクリスマスを一緒に過ごしたい,今度は君のそばを離れないというカペルに心ときめかせるシャネルだったが,シャネルのもとに向かう途中,カペルは事故死してしまう。シャネルがマルクからいくら辞めろと言われても辞めないのは,生涯でただ一人愛したカペルと一緒に始めたことを途中やめにするわけにはいかないという思いからであった。
マルクとも和解し,シャネルは復活後2回目のコレクションを発表する。今度は大成功であった。

というお話。上を読んでいただければおわかりであろうが,主演シャーリー・マクレーンと言いながら,シャーリー・マクレーンが出ているのは追想の中に差し挟まれる1950年代当時のほんの数分間の描写のみであり,他はほとんど若き日のシャネル(バルボラ・ボブローヴァ)である。これで主演をシャーリー・マクレーンと言うのはちょっと,バルボラさんに失礼なんじゃないか……と思われた。
「復活後のシャネルが過去を追想する」という筋書きになっているのはいいとして,復活後のシャネルも過去のシャネルも,どちらも説明不足である気がした。過去のエピソードで語られるシャネルの代表的功績は帽子店とジャージーに限られているのだが,他はほとんど若き日の恋の追憶で,しかもそれが結局何?という感じだった。シャネルはいわば,恋を芸の「肥やし」にした代表的な女性であるが,どのように恋によって芸が肥やされているのか,映画だとよくわからなかった。加えて復活後のシャネル,復活後第1回のコレクションは大失敗で第2回は大成功なのだが,あれを見ただけで「なるほどこっちの方が良い」と思える観客は,ほとんどいないのではなかろうか。復活後を描くのであれば,どのようにシャネル・モードが「古臭い」だけではなくて永遠のスタイルとして認められたのか,どのように成功したのか,そこを描くべきであって,私を含めほとんどの観客が「第1回と第2回どこが違うの?」と思ったことは間違いない。要するに,盛り込み過ぎているわけでもないのに,何やら共倒れなのである。それなら復活後か最初期か,どちらかに絞った方がよかったのではないか。博論執筆中でいらっしゃる研究室の大先輩が,飲み会で「映画の描き方は論文を書く上でも参考になるものだ」とおっしゃっていたが,確かにそうだと思った。特にこういう伝記映画はわかりやすく参考になる。あれもこれも手を出すとすべてが崩れる。どこか「これを書く」という点を定めないと。それがおそらく私の指導教官の言う,「歴史の叙述は写真ではなくて絵画なのだ」ということなのだろう。
さらに,私があまりにもひどいと思ったのは,「リトル・ブラック・ドレス誕生のいきさつ」。コレクションを発表するしないをめぐってビジネスパートナーのマルクと険悪になってしまったシャネルは,「リトル・ブラック・ドレスがどのように生まれたかあなたに話したかしら」と言ってその話をし出す。リトル・ブラック・ドレス,すなわち黒一色(または黒と白のみ)のシンプルな型のドレスはまさにシャネルの起こした革命であり,私のようなブラック・ラヴァーが現代生きていかれるのもシャネルのおかげと言って過言ではない。先述したとおり体調の悪いあまりに脂汗をかきながらようよう見ていた私は,おお,やっとリトル・ブラック誕生秘話が!と前のめりになったのだが,すぐに失望のあまり深々と椅子に体を沈みこませることとなった。最愛のカペルが死んだので,私は自分のためにリトル・ブラック・ドレスを作った,それだけだったのである。
おい!
シャネルの生き方には諸説あるらしいし,専門家でもない私が何を言う権利もないのだが,少なくともリトル・ブラック・ドレスはカペルが死んだから作ったわけじゃないでしょう……とにかくそんな説明をしたら,服飾デザインを学ぶ学生たちは怒りに震え,裁ちばさみやまち針を手に一揆を起こすのではなかろうか?だってリトル・ブラック・ドレスの一番の革命的な点は,黒と言えば喪服という固定観念を打ち破ったということにあったのだ。当時女性は様々な色を身にまとっていたが,色を使い過ぎるとかえってその女性本人がぼやけてしまう,女性の美しさを引き立てる一番の色は黒であり(だからオソノさんはキキに単なる気休めを言っているわけではないのよ),シンプルなデザインである,ということに気づいたシャネルが喪服以外に初めて黒を使った,という点が革命的だったのだ。なのにそのリトル・ブラック・ドレスを「カペルの死後」「自分のために」作ったとなると,それは誰がどう考えても喪服じゃないですか。ちょっとちょっと。いいのかい。いいのかいシャネル本社。
そういうわけで,シャネルの生き方を深く敬愛するひとりとして,この映画はちょっとどうなのという感じでした。シャネルの前半生に焦点を当てた,オドレイ・トトゥ主演の『ココ・アヴァン・シャネル』に期待しよう*1。あと今年は『シャネル&ストラヴィンスキー』という映画も公開されるらしい。シャネルイヤーですねぇ。
マルコム・マクダウェルは『時計仕掛けのオレンジ』のアレックス役で有名になった方であるが,老いても下のつけまつげがなくても眼力は健在であった。私の母方の祖父に似ているとそればかり考えており*2,郷愁を誘った。じいちゃーん。クリスピー・クリームが好きなじいちゃーん。今度買えたら買って帰るからねー。

*1:しかし「アヴァン」て。日本人のフランスかぶれは,時に「これくらいのフランス語わかって当然」といわんばかりである。カフェのメニューとか,当たり前のようにフランス語がそのままカタカナ表記だったりするし。

*2:私の相貌からは想像もできないだろうが,我が家の家系は結構日本人離れ(?)した顔が多いのです。父はトム・ハンクスに似ているとよく言われるし,妹はハーフ顔であるし,母方の叔父は黒人顔である。ついでに祖父つながりで言うと,父方の祖父は(あまり良い例えではないが)サダム・フセイン似です。