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The Payment-by-results system

勉強

Payment-by-results system(訳は考え中。要するに「出来高制」)とは1871年にアイルランド中等教育法(Intermediate Education Act)でPatrick Keenanによって導入されたシステム。国民学校(National School)の教師は基本給を受け取り,さらに生徒達の一斉試験の成績に応じて上乗せがあるというシステムなのだが,皆様そのようにお考えである通り,とんでもないシステムである。教師個人の教え方の自由を奪い,詰め込み教育を助長したという内容的な批判もあるがそれ以前に,教育プロセスは金銭に換算できるということを示唆してしまったことにおいて後世から批判される。Patrick Pearseによって"Murder Machine"と称された教育システムの一端である。まぁでもしかし,良いこともあることはあったわけです。給料に関わるとなると教師が躍起にならざるを得ず,学校への出席率も飛躍的に上がったということがそれなのだが,やっぱりそれでも教育を金銭換算したことへの批判は大きい。よって,その利点よりも欠点の方がクローズアップされるシステムである。
しかしこれが教育に関わるからそんな風に叩かれてしまうけれども,教育以外のことだとするとどうなのでしょうね。例えば技術革新でこのシステムが取り入れられたとして,そんな風に叩かれたりするだろうか。どうもこう,教育=聖職というイメージが強いために,システムに対する批判の様式もちょっと特殊になってくる。例えば私はアイルランドのこのシステム,確かにひどいシステムだとは思うが,同時にもっと評価されてもいいんじゃないかと思う。第一に,19世紀後半のこの時期に,国民学校への出席率を飛躍的に増大させたということは大きいとも思うのと,第二に,詰め込み教育=悪,という短絡的な評価には賛同できないということで。長い目で見ればそれは国民の基礎学力向上になり,ひいては国力増強になったと思うし(厳密に言えばアイルランドは「国」ではないのだがここではちょっとこの表現しか思いつかなかった)。特にこの時期,ろくすっぽ学校にも行かないような子供は国に溢れるほどいたわけだし(もっともアイルランド語使用地域の場合は,アイルランド語しかわからない生徒達に英語で授業をするというまた違う問題があったわけだが,ここでは本筋と関係ないのでちょっと置いておく)。しかしそう思うのは私が教育史をやっておらず,政治史をやってきたからであって,教育史家の人々や,ひいては教育学に関わる人たちにとっては,恐ろしいシステムになりうるのであろう。国益を見る場合と,個性の涵養とかそういったものを見る場合とでは,明らかに状況が異なるのである。
さて,私のやっている研究はどちらかというとその「国益」寄りなのだが,教育問題が大いに絡んでいることなので,どうしたもんかと思っている。教育問題が政治的な場で持ち出される時,しかもそれを国会議員が発言したりする場合,多くの場合は聞こえのいいことを言って受けを狙うという戦法である。私のやっている研究ではその相互利用とでも言うべきことが起こっている。国会議員は国会で教育問題を発言して受けを狙い,私が主な対象としている団体は,機関誌においてその国会議員の発言を「○○先生もこんなことを仰っています」などという感じで取り上げたりして,さらに受けを狙う。おそらくこのへんがキーになるんだろうなぁと思う。
と,こんな具合で最高に頭が混乱している私ですが,前に何度か書いた通り,10月に日本ケルト学会というところで発表させていただきます。18日に大東文化大学でやるのですが,なんとトリ(16:15〜17:00)を仰せつかってしまった。東武練馬駅までは電車で4分の距離ということだけが唯一の救いです。うまくいこうがいくまいが,帰りにワーナーマイカル板橋で泣きながら映画でも観ようかと思っています。お友達の皆様,学生は無料らしいので,ぜひお越しください。社会人のお友達の皆様も,参加費は1000円とからしいですが,それくらい私が払います。
さて,1ヶ月半でどうにかこうにかまとまるのか。乞うご期待。