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賢女にも遠い

勉強

一次史料を最初に読む時は極力メモをとるな,というアイルランド史の師匠の教え(ならびに師匠のさらに師匠の教え)を忠実に守ったわけではないのだけれども,今頃になってメモとっときゃよかった,と焦りながらもう1回最初から読み直したりしているのでなかなか進めることができません。1回目に読んだ時はとりあえず線を引いて横に見出しみたいな書き込みをつけておき,2回目に読んだ時は重要な記事に関してメモ帳でまとめをしてそこに挟んでおき,論点を抽出してさぁいよいよ書けるかと思いきや,論点がどこにあるのか散逸してしまい,さらにはいちいち書きながら引用部分の訳を考えていくという作業のせいで,いちいち筆が止まる&書き進めるのが億劫になる。もうこれ以上無理矢理書いても無駄だと判断したので,一昨日くらいから執筆の手を休め,一次史料の引用部分を先に全部訳しておくという作業を進めていた。やっと全部終わりそうだ。これで使うべき論点をもう1度整理して,今度こそ書こうと思います。先輩方のおっしゃるところによると「書くのなんて1ヶ月ありゃ書ける」らしいので,とりあえずそれを信じるとしよう。と言っても例の学会までには,少なくとも第1稿を仕上げたいと言う目標は変わっていないので,それは守るとして。
徒弟だギルドだと例えられるアカデミズムの世界ですけれども,私は実際に丁稚奉公したことがないのでよくわかりません。それよりはむしろ,年数を経れば経るほど,私が18年間片隅にその身を置かせていただいてきたピアノの(音楽の)世界に似ているかなぁと思います。創意工夫なんて模倣からしか生まれ得ないところとか,本当に自分に必要なものは先生から指摘されて気づくのではなくて自分で気づいて取り入れなければいけないところとか。もっとも,ピアノに関してもこれらに気づいたのは大学に入ってからなので,こんなことを偉そうに言えた人間ではないのですが。私もこうして論文を書くたびに,論文の書き方やら史料の読み方やら,いろいろと学んでいくんだろうなぁと思います。で,それが試行錯誤というやつなんでしょう。基本的には「慣れ」の問題なので。
まぁでも,いちいち時間がかかって仕方なく,二度手間どころか三度手間四度手間くらいの私の作業なのだが,前向きに考えれば何度も史料を読めていることにはなるし,その都度に取捨選択ができていたりもするかと思うので,悪いことばかりではないのかもしれない。『思考の整理学』ではとにかく抜き書きやメモが何度もの行程にわたって繰り返されていて,なんでこんなに同じことを何度も書く必要が?とか思ったものだけれども,やはり必要な作業だったと見える。いよいよあと3ヶ月になってしまって,いよいよ本当に年内に仕上げて出せるのかが見えなくなってきたけれども,前向きにがんばらないと。