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日本語の使い方

つれづれ

私の場合,文章を書いていて困るのは内容そのものよりも日本語の使い方に関することの方が多く,今まさにそれで悩んでいる最中である。色々と悩みどころはあるけれども,一番悩んでいるのは修論のタイトルである。仮題を「19世紀末アイルランド語復興は何を目指したか」に暫定しておいたのだが,「これだと(講談社)メチエっぽくてアカデミックな論文という印象を受けない」と指摘されたのはまぁ置いておいても,「『復興は〜目指す』というのは日本語としておさまりが悪い」と指摘された。確かに「復興」はなにも目指さない。修論題目届は10月頭に提出しなければならないので,その直前に最終案を決定する面談をしていただくことになっているのだが,それまであと1週間悩み倒す必要がありそうである。要するに「アイルランド語復興に見るグローカリゼーション」的なことを言いたいのだが,グローカリゼーションという言葉が適切かどうか自体もまだよくわからない。しかしそう思えば思うほど,グローカリゼーション以外に適切な言葉が思い浮かばない。ううむ。
ところがこんな私でも,家庭教師先では日本語の鬼として日本語を直しているのである。世の中のことは得てしてそうであろうが,とにかく自分の欠点は見えなくても,他人のアラというのはよく目につくもので,まともに注意することができている。特に私の生徒は和訳でつまづいており,どうも日本語の使い方が常々適切でないので,「この文章の主語は何?」とか「主述の関係がはっきりしてない」とか「目的語がない」とか「副詞をこんな風に使えない」とか「主語と述語の間にこんなに修飾語を詰め込んだらワケわからないでしょ!」とか,こまごまとしたことをものすごくネチネチ注意しているのである。私が受け持っている生徒はもう本当にあと和訳さえできればという感じだし,実体験でも,自分が大変な苦労をしているという自覚があってこそ(しかも私は高校時代に特に和訳で苦労した覚えはないどころか,はっきり言って得意であったはずなのに)こんな風にネチネチ言っているのだが,自分も人のことなんて言えないくせにという呪詛が頭をよぎらないでもない。いやいや,よぎりっぱなしである。もう何と言うか,胃に悪いと言うか心臓に悪いと言うか,とにかく彼女が早く和訳を克服してくれますようにと祈るばかりである。
さて今日も,家庭教師の帰りにいつものようにウォークマンを装着したのだが,気づくとプレイリストが後期嵐ばっかりで,若干飽きてきた。適当に回していると「A・RA・SHI」が出てきたので,じゃあ久しぶりにと思ってそのままかけていたのだが,そういえばこの曲は,いきなり最初から「弾けりゃYeah!素直にGood!」なのであった(書いていて恥ずかしい)。口を酸っぱくして日本語の使い方を説いてきた後で,この曲はあまりにもダダイスティックであった。ものすごく久しぶりに聴いたのも手伝って,ついつい,弾けたら何だ,「素直に良い」っておかしいだろう,と冷静に考えてしまった*1中島みゆきとかにしとけばよかった。同時に,日本語なんて本当はどうでもいいのではないか,とも思ってしまったが。いやいやそんなことはありません。ついでに,嵐の曲はこんな歌詞ばかりでは決してありません。
さて,それでは修論に戻って日本語に悩みます。

*1:同様の例を挙げると,宇多田ヒカルの「Automatic」の中に「キラキラまぶしくてwow wow yeah」という一節がある。