読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

(計画)修正主義

勉強

さすがに1日6000字はきつく,早くも1日目の今日からして挫折しそうになっているが,もう少しだけ粘ってみることにする。今日はこれでも結構書き進んだ(合計して3500字くらいは書いたはず)のだが,1日がかりでこれなのだから,まったく嫌になってしまう。レポートなら6000字くらいあっという間に書いていたはずなのだが。もちろん,事前リサーチには時間がかかるが,いざ書きたいことが決まれば頭の中で構成してすぐに書けていた。おそらくそれは,私がいかにいい加減なレポートを提出してきたかの証左としてまざまざと眼前に突きつけられてしまったのだろう。ショックはショックであるが,しかしレポートレベルの修論を用意しているわけでは少なくともないらしいということもわかったので,その点は安心したいと思う。
私は中学生のころからショートスリーパーであるので,宵っ張りの朝寝坊ならぬ宵っ張りの早起きである。何もなくても毎日7時半くらいには起きていた。しかし学会のお手伝いもあってしばらく起床時刻が早まっていたので,その反動で最近は朝起きられなくなってしまった。学会が終わった次の日はもう開き直って寝ていたのだが,たぶんそういうことをしたので余計体内時計が狂ったらしい。やった,7時に起きられたと思っても,いつの間にかニ度寝していて最終的な起床時刻が9時頃だったりする。どうも私は早起きを自称しつつ,毎日起きるのであれば7時〜7時半が精一杯であるらしい。高校の時も,平日こそ6時に起床していたが(じゃないと6時半のバスに間に合わないので),休日は昼くらいまで寝ていた覚えがある。平日は6時起床で週末は思いっきり寝るのと,コンスタントに7時半に起床するのとでは,どちらがよいのだろうか。なんとなく7時半だとそこまで「早起き」という感がなく,悔しいのだが。その上,最近はショートスリーパーでもなくなってきてしまった。前は3〜4時間睡眠でも全く日常に差し障りなかったのだが,最近はなんと,差し障る。これまた由々しきことである。私の性質のうち,非常に数少ない,人に誇れるものであったのに。
ピアノも大学3年生のころから朝練習しているのだが,とりあえず午前中に練習を終わらせ,かつ有意義な練習ができなければ,あとあとまでその嫌な気分を引きずってしまい,私の1日が崩壊することは数限りない実験によって立証されている。さらに最近は執筆を始める前にアイルランド語の詩を英訳しており,それをサボってしまうと罪悪感でこれまた私の1日が崩壊することが立証されている。そういうわけで,学校には行っていないものの,基本的に私の日常はきっちりとしたルーティンワークから成っている。朝のうちにピアノの練習をして,それが終わったら1〜1.5時間アイルランド語の勉強をして,それが終わったらエンドレスで執筆。何もない限り,3色にしか色分けできないのが悲しいが,まぁこれはこれで心地いいのでよしとする。
さて,お世辞にも完成形とは言えないものを「とにかく一瀉千里に」書けという外山滋比古先生の教えに従って書き進めている私であるが,さすがに修論を書き始める段ともなると,自分に向いている書き方がつかめてきたような気がする。書き方といっても文体ではなく,メソッドだが。私の場合,とにかくさっさと一次史料を読んでしまうことと,とにかくさっさと第1稿を仕上げてしまうことが重要なようである。すなわち「とりあえずは安心できる」ようにしておくという非常に小心なメソッドだが,それでも余裕がないのとあるのとでは相当違う。だから今もね,こんなハナから無理なように思えるノルマを自らに課しているわけです。直前になって焦る恐ろしさを考えれば,今ひーひー喚く方がよほど幸せなのだ。さて,自己暗示にもいい感じにかかったところで,もう少しがんばります。もはや推敲もなにもしておらず,ただただ思いついたままに並べているようなひどい文章だが,それでも編集作業はあとからまとめてやることにして,とりあえずはやはり「一瀉千里に」書くことにする。願わくば時宜を得て祖母が大量に送ってくれた私の大好物のお菓子の山(including 大手まんぢゅう,エンゼルパイ,オレオもどきのクリームサンドクッキー,etc...)に,私がこれ以上手をつけることがありませんように。太る太らないの前に,吹き出物とか,糖尿病が心配になってきた(つまり,それくらい食い荒らした)。ミンティア(ドライハード味)で我慢できますように。