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恋しさを聞かせてよ 惜しみなく聞かせてよ

つれづれ

書いても書いても薄っぺらなことしか言えてないようで,こんなはずじゃあない,私はもっと大きいことが言いたいんだと思いつつも言えなくて,いやはや,これはものすごく辛いことです。特に私のような,なにはともあれ言葉でアイデンティファイする人間にとっては,言葉における不自由さは致命的ですらあります。負けない。とりあえずこういう時は,焦らずにいったんパソコンを閉じて,言いたいことを紙に箇条書きにしてみよう。パソコンで書くのと手で書くのとでは,そこに現れる伝えたいという意欲が全然違うのです。先生に教えていただいたことだが,議論を明晰にするために英語で書いてみるのもいいかもしれない。そうだそうしよう。
と言うわけで今日は,最近思ったくだらないあれこれを箇条書きにして終わりにします。

旺文社『英語長文問題精講』の18課の「重要構文」

英語長文問題精講 新装版

英語長文問題精講 新装版

私自身は使っていませんでしたが,良質な問題集なので,家庭教師では愛用しています。解説もかなり詳しくて,これを(きちんと)やったら確かに英語の成績は急上昇するであろうことは明白。しかし昨日,家庭教師先でいつものようにこの問題集を開いていた私の目に飛び込んできたえらい例文。

A is to B what C is to D―これはA:B=C:Dの関係を表し,AのBに対する関係を示すのに,CのDに対する関係を引き合いに出して述べる形式。
Culture is to a man what beauty is to a woman.
What beauty is to a woman, culture is to a man.
(教養は男性にとって,美貌が女性に対する関係と同じだ)

えーと,これはいったい,どういうことなんでしょうか……教養:男性=美貌:女性ということになるのだけれども,要するに「モテる条件」か?それとも「あれば絶大な力になるもの」?いくら大学に入ってからずいぶん丸くなった私も,これ以上考えると怒りそうなので,もうここで思考を停止させておりますが。何をおっしゃる,教養も美貌も,もちろん両性にとって重要なものですよねっ(ハート),ということにしておこう。そもそも,同格になりえないじゃないですか,この2つは。
旺文社さんにはぜひとも伝えたいのだが,高校生っていろいろ考える年頃なんです。ましてや,英語長文問題精講なんて使うような子はそれなりに頭のいい子だろうし。それに,結構こういうの敏感な子もいるわけです。高校時代の私がこれを見ていたら,もしかするとカーリー女神のごとく怒り狂って破り捨てて火にかけていたかもしれない(17歳の私の目にふれなくてよかったー)。その点で,これはあまりにも配慮に欠ける例文のような気がするのですけれども……。ちなみに出典か何かあるのかと思って調べたのだが*1,調べた限りでは見つからない(もしかして有名な一節なんですか?)。もしこれが本当にこの本のための「書き下ろし」例文だとすると,これ,さらに由々しきことなんじゃないかなぁ。いやもちろん営業妨害というわけではなくて,せっかくいい問題集なのに,こういうことをするのはもったいないのでは,と思って。それとも私が何かこの文章の意味を誤解しているだろうか。

今月号の日経WOMANの香山リカインタビューが,こ,怖い……

日経 WOMAN (ウーマン) 2009年 11月号 [雑誌]

日経 WOMAN (ウーマン) 2009年 11月号 [雑誌]

今工事をしているのだか何なんだか,営業妨害だか入店拒否だか,とにかく今,本郷の書籍部の入り口には立っただけで失神してしまいそうなほどシンナーの香りが漂っている。シンナーの香りはそんなに嫌いではない私でも,頭がクラクラした。そんな逆境にもめげずに購入した今月号の日経WOMAN。今月号のテーマは「幸せを呼ぶ最高の習慣」で,その一環としてP.54に香山リカの「『幸せの形』とその見つけ方」というインタビューが掲載されているのだが,その一節。

最近では,妻であり,母であり,キャリアウーマンであり,しかもおしゃれという女性がもてはやされていますから,そういう人を目指さなくてはいけないと思いこんでしまう。もちろん,目標を持ってがんばるのはいいことですが,疲れてイライラした挙げ句,心を病んでしまうケースもとても多いんです。

ひぃぃっ。実名出してない分,今度は余計に怖い(勝間さんは「妻」ではないので,ぼかしているようだが)……もちろんこの記事の下には香山先生のにっこりほほ笑んだ写真が載っており,それもますます怖かった。
でもなぁ。勝間和代的生き方を目指す人に,「がんばらなくていいんだ」とか,「平凡なことを幸せと思え」と言ったところで,無理じゃないかなぁと思う。そりゃまぁ,一時的には楽になるかもしれないけれど,でもその人は根本的に,そういう貪欲な生き方を格好いいと思ってしまうタイプの人間なのだから,ずっとその「しがみつかない」とやらで得られる心の平安が長続きするのかどうか,私にはよくわからない。まぁでも,これはこの前一条帝とおもしろう書き交わしたりけることであるが,「○○一辺倒にならない」というのであれば,それは大いにいいことだと思う。

我々の演奏会のプログラムに「幻想」が多いことについて

前から書いていることですが,3月にP会の私たちの学年(2004年度入会)でOB・OG演奏会をやります。オペラシティです。みなさまのお越しをお待ちしております。
さて,そのプログラムであるが,14人の出演者のうち,「幻想」に関わる曲を弾くのが4人。スクリャービンの幻想曲ロ短調メンデルスゾーンの幻想曲嬰ヘ短調カプースチンピアノソナタ1番「ファンタジー」,ラフマニノフの幻想小品集より第2曲。ついでに幻想とは関わりないが,プログラム第1番はドビュッシー「月の光」,あとはみほちゃんがラフマニノフの絵画的練習曲集。みんな現実に戻ってきて!

*1:これが19世紀以前に書かれた文学の一節とかなのなら,まぁいいかと思った。オスカー・ワイルドとかに出てきそうだし。