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マイトレイ

読書

マイトレイ/軽蔑 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-3)
この池澤夏樹選の世界文学シリーズ,なかなかどうしてよさそうである。書評紙の関係でケルアックの『路上』の新訳(『オン・ザ・ロード』)が出ているのは知っていたものの,それはこのシリーズの第一巻だったのか。他にもバルガス=リョサの『楽園への道』,みんな大好きなクンデラ『存在の耐えられない軽さ』,フォークナー『アブサロム,アブサロム!』,クッツェー『鉄の時代』などなど,名作てんこ盛り。修論が終わったら,1冊ずつ制覇していこう。
今回のこの巻には,エリアーデ『マイトレイ』とモラヴィア『軽蔑』が収録されている。私はときどき発作的にあまり触れない地域の作家のものを読むのだが,最近はまたしても,なぜだかどうしてもイタリア系の作家のものが読みたくて仕方なくなり,モラヴィアイタロ・カルヴィーノウンベルト・エーコのどれかにしようと思っていたのである。その中でも最も気になったのがカルヴィーノで,次がエーコであり,モラヴィアは特に今読もうとは思っていなかった。しかし区立図書館の検索ページを見ていて,ふと入力した名前が「モラヴィア」であり,そうすると2冊がヒットした。『軽蔑』しか入っていないものと,『マイトレイ』と2編収録されているこれと。正直言うと,『マイトレイ』なんて聞いたこともなかったし,そもそもエリアーデが「あの」エリアーデであること自体知らなかった。私がこれを選んだのは,ただ単に,2編入っている方が「お得」だろう,という考えからである。そしてその中でも,渇望していたイタリア系作家モラヴィアの『軽蔑』から読み始めるのではなくて『マイトレイ』から手をつけたのは,ただ単に,『マイトレイ』が先に収録されていたからである。
で,マイトレイ。前半はよかった,ものすごくよかった。マイトレイとは主人公アランがインドで出会い,恋に落ちる16歳の令嬢なのだが,このマイトレイの言動,特に「言」がもう,16歳とは思えないほど蠱惑的。

「車に乗っていたあの子にもフランス語を教えたの?」と,藪から棒に,ややおずおずと視線を上げて,訊ねた。
分かった,ジュアティのことだな,私の腕の中にいるところを見たのだ。私は赤くなった。
「それは大変だろうね」と防戦。「あの娘はからきし頭が悪いんだ。たとえ五年教えたって……」
「五年経ったらあなたは何歳?」と,口をはさむマイトレイ。
「三十か三十一」と,私はおだてに乗った気分。
「あの方の半分にもならないわ」と,独り言のようにつぶやいた。
ノートブックに視線を落として書き始めた。<ロビ・タクール*1>と,ベンガル文字で,またラテン文字で。私がこれにいらだったのはいくつものわけがある。第一に,マイトレイが七十歳の老人に熱を上げるのがおもしろくない。

16歳の時,26歳の男性相手にこんなことが言えただろうか。いやー無理です。ジュアティ(とはくだらん女友達)のことをマイトレイが聞くので嫉妬されていると「おだてに乗った気分」でいい気になっていたら,反対に自分が,しかも詩聖タゴールに嫉妬する羽目に。こんなことできませんよ。年齢ですら「あの方の半分にもならない」って,もうとんでもなく屈辱的。うーわー。ここ読んだ時にはもうぞくぞくしてしまいまして,思わずこの日記のタイトルを「マイトレイ」に替えようかとすら思いました(本気で)。またしてもグローバルな名前に感謝。ちなみにマイトレイとはどんな意味じゃいと思って調べてみると,マイトレーヤ,つまり弥勒菩薩のことだとか。ブディストは知っておきましょう的知識。
物語自体はいたって『舞姫』であり『ミス・サイゴン』である。オリエンタリズム入っている分,ミス・サイゴンの方が近いか。エリートがまったく知らない土地で外国人の少女と恋に落ちるが,その恋はうまくいくはずもなく,やがて悲劇が起こる。この『マイトレイ』に関しても,調べてみるとネット上などでは『舞姫』との類似性を指摘し,そこを絶賛する声もあるようだ。しかし『舞姫』の何がすばらしいって,結局エリートはエリートとしてしか生きられませんでした,っていう悲しさですよ。官命を解かれ,コーヒーハウスに入り浸って臨時特派員のような仕事に就き,やった,これでボクは自由だ,今はもう敷かれたレールの上を歩いてないぜイェーイ*2,とか思いながら実はそれが束の間のものであって,伯爵に「余はあす,魯西亜に向かいて出発すべし。随いて来べきか」と聞かれた時,条件反射的に(この答えはいち早く決断して言いしにあらず)「いかで命に従わざらむ」が出てきてしまうという豊太郎の悲しさ。しかもそれをエリスにいつまでも切り出せなかった心の弱さ,さらにはその重圧に耐えかねて寝込んでしまうダメっぷり(こんな彼氏絶対嫌),あれこそが『舞姫』を名作たらしめている要因である。しかし本作『マイトレイ』では,アランとマイトレイの別離はアランの弱さによるものではなく,ただ単に関係がバレて,激怒したマイトレイの父ナレンディア・セン氏に追い出されるという,それだけなのである。しかも,バレたきっかけもマイトレイの幼い妹チャブーが無邪気に喋ったからであって(「アラン=ダダはマイトレイにキスして,いつも胸に触るの,でも私には誰もキスしないの」),例えばマキューアンの『贖罪』に見るような,妹から姉へ,その恋人へのねじれた視線みたいなものもない。もちろんこの物語では,本当の悲劇は別離そのものではなく,むしろそのあとに起こるので,そちらを評価すべきかもしれない。ただそれも,私にはよくわからない。そういうわけで,前半はすばらしかったのに,後半はひたすらつまらなかった。
ちなみにこの物語,エリアーデがインド留学中に実際に恩師の娘マイトレイと恋に落ち,それが恩師にバレて破局を迎えたという経験に取材したものであるらしい。実話というところも,『舞姫』です。まぁだから,『舞姫』や『贖罪』と比べてどうだとか,若干面白くないとか言うことも,本来ナンセンスなのか。ただ,色々なところにさすがは宗教学の大家エリアーデと言いたくなるような記述が散見され,それを発見していくのはなかなか面白いことです。もっとも,自分がキリスト教徒である限りヒンドゥー教徒のマイトレイとは結婚できないだろうから,だったら自分がヒンドゥー教に改宗しちゃえ!教義も何だか面白そう!とかいう,もう言ってしまえば軽薄この上ない理由で*3あっさりキリスト教を捨てようとするだなんて記述は,ちょっとありきたりだなぁと思いました。ヨーロッパ知識人のキリスト教への懐疑というのは,もう使い尽くされた手であって,エリアーデ先生ともあろうお方がそんなことを,わざわざ小説に織り込むなんて。
しかし鴎外といいエリアーデといい,遊び過ぎです。何のために留学しているのか,ちゃんと考えたまえよと言いたい。「わが学問は荒みぬ」って,自己陶酔して2回も言っている場合かというもんですよ全く。しかも荒み「ぬ」って,完了の助動詞使ってんじゃないよ。荒みを自覚しているのなら勉強しなさいよ。
というわけで,論文に戻ります。最後の一言は自分へのメッセージでもありました。ええ。週末の学会が終わったら,モラヴィアも読むんだー。

*1:タゴール。マイトレイはタゴールの詩に心酔し,タゴールに恋していると思い込んでいる。

*2:そもそも「敷かれたレールを嫌がる」時点で敷かれたレールに縛られている。マニュアル通りのエリートである。

*3:もちろんアランは真剣に悩んでこの結論を出したのだけれど,傍から見ればこれぞ若気の至り。