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チラ見

読書

「エミーリア!」とわたしは喘いだ。彼女は後ろへ飛びさがった。「ぼくが求めているのはそういうキッスじゃないよ……」
妻はわたしを押しのけると,露わな敵意を見せてくり返した。「ねえ,離して!痛いじゃないの!」
「それは嘘だ。そんなはずはない」彼女に躍りかかりながら,私は歯をくいしばって呻くように言った。
今度は彼女は,体を二,三度激しくゆすって逃れると,すっくと立ち上がり,急に心を決めたかのように何の恥じらいもなくこう言った。「したいなら,さあ,しましょうよ……。だけど,痛いのはごめんだわ……。あんなふうに締めつけられるのはたまらないわ」
わたしは喘ぎながら,じっとしていた。彼女の声は冷たく,かさかさした響きだった。

いやはや,とんでもない小説です。『軽蔑』。ちょっと外へ出る用事があったので,電車の中でだけならと思ってちらっと読んだのだけど,これ以上読んだらいよいよ修論も学会も崩壊しそうなので,もうやめる。
政治史も文化史も,ごくごく普通の男女関係の面白さには到底かなわない。小説だと思って読むからどきどきするけれど,こんなことは世の中にはありふれすぎているほどありふれていて,それを小説にまとめあげてしまうモラヴィア,脱帽です。
よくよく考えればなんでもないようなことを,なんでもなくないように見せる/魅せる腕というのは,人に何かを伝える上でもっとも重要なことなんだろうなぁ。シンプル・イズ・ベストなバッハやモーツァルトを聴いて人が感動するゆえんだと思います。この小説も同じで,無条件に自分を愛してくれていると思っていた相手がいきなり冷たくなって,焦ってああでもないこうでもないと自分の中で暴走して……なんてことは本当によくよくあることなのに,それを読むのはどんな推理小説よりもスリリング。ああ,恐ろしや。