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A Portrait of Douglas Hyde as a Young Man

勉強

この前の学会で,やはり私の研究においてはD・ハイドの描き方というのが非常に重要であるので,もう一度よく見直してみるとよかろうというご指摘を2人の先生から受けた。私も重々わかっているのにどう扱っていいかわからず,またどう本論に組み込んでいいものかわからず(そもそも「組み込む」くらいで許されるものなのかどうかもよくわからない),途方に暮れていたところへ,その先生のうちお1人からありがたいご提案。1878年〜1893年のハイドの日記を集めたThe Young Douglas Hydeという研究書があるのだが,もしよかったら土日にその読書会(みたいなもの)をやらないか,というもの。そりゃあもう,もちろんでございます。というわけで,俄然また忙しくなりました。読書会自体は日曜に決定したので,それまでにハイド関係の書籍・論文を全部読んでひと通りまとめようともくろんでいる。草稿を脱稿して,一瞬放心したところへ,ものすごくタイミングのよいご提案をいただくことができました。これでまた気分も引き締まろうというものです。今度こそはスペアリブも夢ではないかもしれません(スペアリブへのあくなき追求)。
しかしまぁ本当に,返す返すも贅沢なのです。この読書会。先生とマンツーマンでというのもさることながら,この先生,アイルランド語にまつわる様々な問題(文学も歴史も)の専門家でいらっしゃる。専門的なことを相談させていただくには,この先生をおいて他に考えられません。夏以降ずっと詳しくメールで相談に乗っていただいており,この前の学会でもお会いし,そして今回のこれとなると,もう何やら,超恵まれている気がします。そういえば6月にも,これは駒場の授業でだけれども,先生とマンツーマンでハイドの民話集を読ませていただいたことがありました。つくづくありがたいことです。私自身はしょーもない人間ですが,昔からいい友達といい師匠にめぐりあうセレンディピティだけは持ち合わせているようで,本当によかったと心から思います。あと欲を言えばいい旦那様をいえいえなんでもありません。これ以上は望みません。滅相もないことでございます。
しかし私がその先生にお送りしたメール,恥ずかしいったらありゃしない。

……The Young Douglas Hydeについて,お会いしてお話いただけるとのこと,「ぐったり」しているなど,とんでもないことです。先生にさえご迷惑でなければ,ぜひともお願いいたします。

ただその件で,せっかくお時間を取っていただけるのであれば,前回の私のメールでも申しました通り,修論にどのようにハイドを組み込むかという相談にもぜひ乗っていただきたいと思っているのですが,いかがでしょうか。

しかしそのためには,草稿の現物を読んでいただくのが最も早いかと思うのですが,いかんせん草稿をこの火曜にやっと書き上げたところで,このままだと「草稿」とすら呼べない状態です。
3章,結論,2章,1章,序論と書き進めたのですが,最後に書いた序論など,もうとにかく書き上げるのが先決!と,注など無視してとにかく書いてしまっています。

また論点も,とりあえずは一次史料のゲーリック・ジャーナルから読み取れることをまとめて,二次文献から得た知識はのちのち組み込んでいこうというスタンスで書きましたので,これからまだ読み足すべき論文や文献も多いような状況です。

まして先生にコメントをいただけるのですから,それなりの体裁を整えてからお送りしたいと思っていたのですが,妙なところで完璧主義な性分で,もしかしてそんなことを言っていたら読んでいただく時間がなくなってしまうのではないか,などと,途方に暮れています。

ですがその一方で,では体裁を整えるかと思いましても,書き上げてから時間が経っていないために頭が冷えていないようで,どのように論点を整理していけばよいかすら,皆目見当がつきません。

なにやら的を射ない状況の説明で,申し訳ありません。
書き上げたばかりで頭が混乱しているのだと思います。

何を言っているんでしょうか一体。何を言いたいんでしょうか一体。もう一言で言えば最後に書いてある通り,「書き上げたばかりで頭が混乱している」のである。ああ恥ずかしい。先日書いた,「こんなのを提出したら日本追放」の意味がわかっていただけたでしょうか皆様。所詮私はこういう文章を書く人間であるということである。あと1ヵ月半でどうにかなりますように……