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ヒトの日記を読みふける

勉強

別に研究で疲れてブログ徘徊とかをしているわけではなくて,立派に一次史料を読んでいるのです。昨日も書いたが,ハイドの日記。
草稿を書いてみて気づいたのだが,今のままでいくと論旨がまったくぼやけているので,思い切って今の第2章と第3章はまとめて第2章にしてしまい,第3章はまるまるハイドに割こうかなぁ,とか思っているのである。19世紀後半アイルランド語復興運動を体現している人物とでも位置付けて(実際そうなんですが)。となると新しく1章分書かなければならないので,あわてて日記やら文献やら読みなおしているわけなのですが。
前にも書いたが,書簡やら日記やら,本来こうして人に見せるつもりでなく書いたものが後世になって一般公開されて(しかも,ご丁寧にも編集までされて),こうして極東の小娘が学位を取るために読みふけるものになるなんて,まったく,可哀想で仕方ない。私だったら化けて出かねない(いっそハイドやイェイツが化けて出てくれれば,直接取材できていいのだが)。さらに申し訳ないことには,最近はもう切羽詰まっているのもあって,面白くない記述とか見ると,腹が立ちさえするのである。日記というのは本来とてもコストパフォーマンスが悪い史料であって,それは重々承知しているのだが,わかっていながら一生懸命読んで,特に何も面白いことが書かれていないとわかった時たるや,気づけば歯噛みして悔しがっている自分がいる。何だよ「今年初めての蝶を見つけた」って*1……!人の日記を断わりもなく勝手に読んで,「面白くない」と文句を言うなんてお門違いもいいところなのだが,自省してみますと,私はましてこのような形で一般公開して日記をつけさせていただいているのだから,せめて面白いことを書きませんとね……。
しかも日記というのは史料批判がなかなか面倒臭いものがあって,例えばこんな記述があったりするのだが,

When breakfast was finished the governor told me I had to go and take the Sunday school. I flared up and told him he ought to go himself and not be destroying the school. 'Why wouldn't you go?' he asked. 'Because I hate and detest it.', I replied.

あっ,信仰への懐疑心!と喜び勇んでチェックすることもできるような箇所だが,よくよく考えなければならないのは,これは1878年,ハイド18歳の時の日記であるということである。18歳なんてあなた,盗んだバイクで走りだしたり,夜の校舎の窓ガラスを壊して回ったりする年頃でしょ?ということはここに出てくる校長先生とのやり取りも,「うっせー,行きてーならてめーで行けよ(he ought to go himself)」だったり「うぜーからだよ(Because I hate and detest it)」だったりするかもしれないわけで,むしろその可能性の方が高いわけで,そんな思春期にいちいち相手はしていられない。しかしハイドがどの程度,何歳までとんがっていたかわからないので,どのあたりからまっとうに扱えばよいものやら,いまいち判断しかねるところがある。私自身のことを考えましても,中学・高校の頃の日記なんて,人の悪口と親の悪口くらいしか書いていなかったような覚えがある。しかもあれは紙媒体で,それこそ人に見せる目的で書いたものではない。まずい。今度実家に帰った時には絶対に処分しなければ,うっかり私が将来名を成したりあるいは犯罪を犯したりした際,世に出回ってしまう恐れがある。恐れ多くもアイルランド共和国初代大統領と自分とを同列視してしまいましたことを,深くお詫び申し上げます。単なる悪ふざけです。入国拒否とか,なりませんように……

あと,あろうことかこの人の名前を間違っているのを直さなければ,本気で入国拒否されてしまう。ジェイムズ・クラレンス・マンガンさんです。19世紀初頭アイルランドの詩人かつ翻訳家です。なぜだか私はこの人の略称を「C・マンガン」とか書いてしまったのです。それを言うなら「J・C・マンガン」だろうよ。何はともあれ,この人の名前を間違えているようでは,ゲーリック・リヴァイヴァルを研究する資格がないのです。ああ恥ずかしい。ちなみにマンガン乾電池はこの人に由来,しません。

*1:ハイドは狩りと昆虫採集が趣味だったらしい。