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かるでぃができた!

余暇

まだ若干の頭痛は残っているものの,どうにかこうにか回復いたしましたようです。
というわけで,食材の買い出しに行くついでに,まさに今日我が町にオープンしたKALDIに行ってみた。西洋かぶれの私はKALDIが大好きでして,小田急沿線に住んでいた時にはもう下北に行くたびに行っていたもんです。下北じゃなくても,出先でKALDIを見かけると入ってしまう癖は今も変わらない。そんなKALDIが徒歩圏内に出来るなんて,もう私,向こう10年はこの街に住み続けたいです。
で,KALDIですが,これはもう浪費の予感である。ホットワインとかあるよ!もう,まっさかさまに堕ちてDESIRE,炎のように燃えてDESIREですよ。すっかりこの日記ではおなじみになっているであろうダグラス・ハイドは,こう言っています。日本は西ヨーロッパのイミテイターだと(アイルランドもそうなりかけていると)。大きなお世話です。そしてそのイミテイトっぷりは,こうして輸入食料品の店がオープンしただけで黒山の人だかりになっていることからも明らかだと思われる。ちなみに,ハイドが日本のことを持ちだしたのは1892年です。イミテイションの時代,明治ですね。そして時代は今や2009年,日本人はいまだに西欧の文物に目を輝かしているわけです。笑うなら笑うがよろしいわ。それはまあいいとして,オープンセールで日曜日までコーヒー豆が半額(!)であり,最近ブルックスで注文したばかりの私は庄司薫風に言えば「舌かんで死んじゃいた」くなったのだが,なんとか持ちこたえてマロングラッセとTWININGSのアールグレイティーバッグだけ購入して帰った。しかしコーヒー,豆からひきたての粉で淹れられるなんて贅沢な気がするし,なによりコーヒーはあって困るもんでもないので(電撃妊娠とかしない限り),やっぱり買いに行こうかしら。だってこのままだと本当に「舌かんで死んじゃい」かねない。キィーッ。
今日は,思わず『蒼穹の昴*1の中でも名場面に列してよいと思われる,殿試の前夜に梁文秀のもとへ楊喜腊が訪ねてくるところを思い出すようなことがあった。いやぁ,いつ読んでもいい場面です。

「もう己を繕うのはやめたまえ」
胸を鷲摑みにされたような気がして,文秀は楊の顔を見つめた。
「君はもう,己れ自身も,周囲の誰をも,たばかる必要はない」
「私は,己れを偽ってなどおりませぬ。おおせられる言葉の意味がわかりませぬ」
楊喜腊は胡同の月を見上げて,微かに笑った。
「君ほどの学問を積んだ人間が,偏屈であろうはずはない。事情は知らぬが,つまらぬ芝居はもうこれきりにしたまえよ」
楊はやさしく囁いているだけであるのに,その言葉には刃物のような鋭利さがあった。まるで熟した桃の皮でも剝くように,文秀の心から偽りの人格がはがれ落ちた。それは物心ついたときからそうと定められ,いつの間にか自分自身にも正贋がわからなくなっている,偏屈な,当て馬の仮面だった。

*1:この前これのことを書いたものだから,また引っ張り出してしまった。