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リパブリック

勉強

先月年次大会に参加させていただいた学会の研究会があったので,慶應義塾大学日吉キャンパスへ赴いたのだが,ここに来るのがそういえば入試以来だということに気づいた。ごちゃごちゃしたところだなぁと感じた覚えがあるのだが,6年ぶりの日吉は何だか,駅ビルと大学しかない所に思えた。東京に慣れてきたということなんでしょうか。どのみち東大に落ちたら浪人するつもりだったので,あの時受けたのはなんと商学部でしたが(日本史と数学が受けられるところがよかった),英語の問題で"How do you do?"を答えさせるようなものがあり,私は何のために岡山からはるばる足を運んだのか,とげっそり徒労を感じたことも思い出した。商学部なんだったら,英語の試験はTOEICとかにした方がよいのでは……それにしてもあの問題は,総合的に見ても私の出身中学の定期テストレベルだった気がする。
アイルランド独立運動史―シン・フェイン、IRA、農地紛争
今回のご報告は森ありさ先生で,第一次世界大戦に従軍した国民党党首ジョン・レドモンドの弟ウィリー・レドモンドの言説分析から,アイルランドにおける自治主義と共和主義の転換点を第一次大戦中に見出すというもの。第3次Home Rule法案が議会で通過したのに第一次大戦勃発で施行が延期され,イギリスお得意の「協力してくれるんなら自治あげてもいいけど?」に従わざるを得なかった国民党は,1916年のイースター蜂起を経てシン・フェインが大衆の人気を得て台頭してくるのに反比例する形でどんどん失墜し,ついには1917年の徴兵法の是非を問う選挙で大敗してほとんどすべての議席数を失う,という悲しいお話です。最近伺ったうちでもダントツに面白いご報告だった。世界情勢や対英関係を絡めることでアイルランド独自の問題が相対化され,新しい歴史像が浮かび上がる(それでいてアイルランド独自の問題を過小評価するわけではない)というダイナミズムに,私は興奮を禁じえませんでした。以下,これから考えなければならないなぁ,と思ったことを見出しにしてまとめておきます。長い上に専門的なので(もっとも,専門の中では稚拙だけれども),以下はクリックする形にして,今日は一応終わりにしておきます。
しかし先生は説明がお上手だった。自身もプレゼンを控えている身でありつつ,何がよかった,と明確に思いいたらないのが歯がゆいのだけれども,とにかく非常にわかりやすかった。

今後のイースター蜂起の扱い方。

ナショナリスト史観が蜂起と独立運動を神格化したために修正主義ががんばらざるを得ず,しかしIRA問題を経て修正主義も若干行きすぎてしまって,いわば「修正主義の修正」を迫られている今日のアイルランド史学において,じゃあ改めて蜂起って何だったの,という疑問が生じてくるわけです。
例えば同じ文脈で自治・独立を餌に「イギリス兵」として従軍したインドは,そのあときちんと(対英戦争を経ずに)独立を勝ち取るわけで,そうならなかった,というか実力行使を余儀なくされたアイルランドにおいては,やはりアイルランド独自の問題が絡んでくるはず。シン・フェインの台頭には間違いなく蜂起の影響がものすごく大きかったわけで,それを無視することはやはりできない。この前も書いた通り,イースター蜂起100周年がもう眼前に迫っているので,何かしら新しいヴィジョンを提示しなければならない。できうるならば私も何か貢献したい。

徴兵という問題について。

徴兵というのはつまり,ナショナリティやロイヤルティが如実に現れる問題であって,これはアイルランド独自の問題ではなく,イギリス連邦という枠組みで考えなければいけない。
国民党はその問題について,「イギリス軍として従軍しているのに自治を得ていないのはアイルランドだけ」ということを根拠に自治獲得を目指したが,やっぱりこの論理はアイルランドの民衆には理解できなかったようで,その点シン・フェインの「イギリス議会で訴えることをもうやめて,徴兵も何もかも拒否してしまえ」という訴えかけの方がわかりやすく人気を博したというのはとてもよくわかるのだが,じゃあ連邦内での他の国はいったいどういう風にイギリス徴兵に対峙したのでしょうか。この点はもちろんご報告でも触れられていたのだけれども,私自身もう少し詳しく知らなければいけない。

ボーア戦争から第一次大戦に至るアイルランドの対英メンタリティ。

ボーア戦争ブリテン帝国の権威は失墜したとよく言われるが,アイルランドではその頃「イングランドの困難はアイルランドのチャンス(England's Difficulty is Ireland's Opportunity)」という身も蓋もないスローガンのもとに色々と反英団体の人たちが動いていたりしたわけで(Cumann na mBanとか),だとするとイングランドに対する「もうあなたとは付き合いきれないわ,さようなら」はそのころから脈々と続いていたと考えるほうがよいような気もします。そんなこと言い出したらきりがないのだが,ブリテン帝国の権威が自明だった頃とそうでない頃というのはやっぱり対英メンタリティに差が出るし,その「そうでない頃」の始まりはまぁボーア戦争に置いて不都合はないんじゃないのかな,と。
で,もしそうだとすると問題はシン・フェインという組織よりも,アーサー・グリフィスとかD・P・モランとか,そういったジャーナリストのアーティキュレーションが鍵になるのではないかな,という気もするのです。まぁでもこれはちょっと危ういな。前史としての扱いになってしまうか。

国民党の扱い方。

さてさて,これをほっとくわけにはいきません。アイリッシュ・パーラメンタリー・パーリー,というアゲアゲな名前(中黒の代わりに「☆」でも付けてやりたい)ですが日本語表記は「国民党」です。「パーラメンタリー」だし,要するに議会主義的ナショナリズムの人たちなのだから「議会党」とでもすればいいのではと思うのだが,なぜだか「国民党」です。変なの。まぁ私はあまりこだわっていないし,ぺーぺーの身で日本語表記に異を唱える勇気はないので,右にならえで「国民党」を使っています。上の先生方が変えてくれないかなぁ。このままだと異を唱えなければならなくなるではないですか。
この人たちは分離主義に依らない,あくまでも連合王国の枠内での自治を追求してきた,いわば18世紀からの「古式ゆかしい」考え方を持つ人たちです。余談ですが,この人たちの言っていることを見ると,私なんだかほんわかしてしまうのです。そしてアイルランドの人々も,基本的には「ほんわか」していたわけです。少なくとも19世紀後半までは,この人たちがマジョリティだったんだから。しかしその「ほんわか」に徐々に満足できなくなって一気に独立に傾斜するのが世紀転換期から第一次大戦にかけての時期。
じゃあこの人たちの意見のプレゼンス,およびその推移を一体どういう風に考えるかなぁ。例えば私が今やっているゲーリック・リーグの研究でも,19世紀末の時点では「ホーム・ルールが実現した暁には」アイルランド語とちゃんと向き合わなければ,だなんていう風に「ホーム・ルールありき」の発言がなされているわけです。すなわちそれくらい,実現可能性があったと考えてよかろうと思われます。しかし1915年,ちょうど今回の話と関わるところですが,ゲーリック・リーグの中でもVolunteersによるクーデタが起こったりしています。こんな風に,言語復興団体なんて一見政治と関わりのなさそうなところでもこんなことが起こっていることを見ても,やはり世紀末から第一次大戦にかけての間に何らかの世論の変遷が起こったと考えるのが妥当だろうなぁと思うわけです。

シン・フェインの考え方。

では逆に,シン・フェイン。今はどうだか詳しくないのだが(知っとけよ),黎明期のシン・フェインなんてもう,私の知る限りでは烏合の衆です。おまけに政策やら選挙活動やら,自民党民主党を批判するところの例の「ポピュリスト政党」がそのまま当てはまります。そんな政党がどのようにして組織化して「ちゃんとした政党」になったのか等々。もっともこれはもう研究蓄積があるので,私の今後の勉強課題として。
どうでもいいけれども「シン・フェイン」は,(高校で世界史を履修する限り)多くの日本人が生涯で唯一触れるアイルランド語なのではなかろうか。耳慣れない言葉なので高校生はすぐ覚えるのだが,きっかけはどうあれ,アイルランド語が人の心に印象を与えるというのは,アイルランド語学習者のひとりとしてうれしいことです。