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プチ・象牙の塔より

つれづれ

外界と接触する機会がどんどん減るにつれ,携帯はますます貴重なツールになっていくわけですが,それにしても私の周りの皆様はドラマティックな日常を送ってらっしゃる方々ばかりで非常に羨ましい。ある友人はかつての恋人と会う日取りが決まり,また別の友人はインド人に告白され,Leave me aloneと叫んで繁華街をダッシュしたそうです。後者に関しては電車に乗っている最中にそのメールを拝読してしまったために,もう笑いをこらえるのに必死で,親知らずの傷跡に響いたほどであった。事実は小説よりも奇じゃないか。まさにその通りじゃないか。『マイトレイ』での恋を引き立てるのはなんといっても異国情緒と,異文化の交錯から来るもどかしさなのだが,まさにそれと同じようなことがあんなところで起こっているとは……。場所と人物が身近になるだけで,こうも面白いとは何たること。「深刻な顔をして説得にかかる」インドの青年と,Leave me aloneと叫んでダッシュする友人を想像するだけでもう,いつでも笑えてしまう。あーあ,彼女は紆余曲折を経てついにはマハラジャの妃におさまるのかと思ったのに!はるばる結婚式のためにコルカタ(カルカッタ)に赴くのを楽しみにしていたのに!
こんな風に,あなた方の日常は私をこれ以上ないほど潤してくれていますので(潤い過ぎて溺れそうよ),これからもご報告をお願いいたします。あ,これ以上書いたらきっとプライバシーに差し障るだろうし,その後談はこちらには書きませんが。
Culture And Anarchy (Oxford World's Classics)
今日はまたしても1日中文献を読んでいたりで特に書くこともないので*1,アーノルドの『文化と無秩序』を引き合いに昨今のクラシック音楽の大衆化の風潮に一石を投じてみようかと思っていたのだが,いろいろ考えているうちにこんな時間。やめた。要はクラシックに歌詞をつけるなどという傍若無人な振る舞いが,私は昔から許せないのです(平原綾香等々)。歌詞をつけてさらによくなるなら,ホルストがやっているでしょうよ。そんなもので表現できない深い思いを音楽に込めているわけでしょうよ。だから『のだめ』に始まるクラシックブームに対しても,私は若干懐疑の念を抱いております。この私の複雑な思いを説明するのに,アーノルドの『文化と無秩序』が示唆を与えるであろうということです。つまり,前提として序列と差別化を伴う文化の概念というものが。というとわかりにくいが,「わかる人にだけわかりゃいい」という考え方のことです。裾野を広げようなどとは思っていない,というよりも裾野を広げたくない,という思いのことです。私のクラシックに対する思いも,それに近いものがあるんじゃないかと思ったわけです。なんで敷居を「下げ」なきゃいけないんだ?という。しかしその一方で,これ,インディーズ時代から応援してきたバンドがメジャーデビューして急に有名になった時,「私前から知ってたもん」と主張する,いわゆる「中二病」に近いメンタリティなんじゃないかとも思うので,安易にアーノルドなんかに親近感を抱いてはいけない気もするのです。そもそもアーノルドにおいては,想定する「我々」は知識人なので,それに共感するということは,自分は知識人だぜと吹聴することになる。ああ恐ろしい。私にはとてもそんなことはできません。
いや,それにしたって,クラシックに歌詞つけちゃいかんよやっぱり。あれは絶対に本質を損ねている(distort)と信じて疑わない。やっぱり私は,クラシックのポップスへの利用はSweetboxが限界です。と,今日の情熱大陸を見て改めて思った。

*1:それともこの本に関してまとめた方がよかったでしょうか。

Catholic Churchmen and the Celtic Revival in Ireland, 1848-1916

Catholic Churchmen and the Celtic Revival in Ireland, 1848-1916