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積ん読回避法についての考察

つれづれ

ぶんちゃんから修論における日本語の使い方のご指摘を受けつつ,エチカのフレンチ(←アイルランドがこんな時に非国民な!)レストランでランチ。主語がないものが多いとか,コロケーションの問題とか色々とご指摘いただいたのだけど,論理展開が緻密かそうでないかは文章の書きぶりひとつ見ても明らかだ,ということがよくよくわかった。ざっくりした書き方をしている箇所というのは,得てして論理構成が雑なのです。今度から人に論文を見せる際は,無差別テロ的に送りつけるのではなくて,まずまったくの専門外の人に見ていただいて日本語や論理の面をご指摘いただいて,それから専門の方にお見せし,最後に再び専門外の人(最初とは別の人)に読んでいただくのがいいのではないか,と思った。
ところで,その時に「『時間がない』と言う人は非常に嫌いだ」という話から,「しかし本を読む時間がない」という話になった。私はいわゆる読書家では特にないと思うのだが,それでも他人様からは「文学少女っぽい」とか「読書家」とか評されることが多い。関連して,「どうやったらそんなに本が読めるのか」と質問されることも多い。どうやったらって,そもそも「そんなに」本を読んでいるわけではないと思うのだけどなぁ,と逆に困ってしまう。しかし今日またこんな話題になったので,そういえば私はどうやって本を読んでいるのだろうかと考えてみた。そしてその答えは非常に単純であった。

借りた/買った時にすぐ読む。

極論すればいつもこうです。借りた/買った時,というのは,もはや借りる/買う前から,ということでもある。図書館であればカウンターに持っていく前から,書店であればレジに持っていく前からすでに読み始め,酷い時など,読みながら帰る(歩いている時も読んでいるので,電柱や停車中の車にぶつかったり,転んだりしてびっくりすることは多々ある)。そして帰ってからもずっと読む。読了。まったく無計画で非効率なように思えるのだが,私においては,これが一番短時間で読むコツのようなものである。これで,ほとんどの小説は2〜3時間あれば読める。というのはおそらく,本というのは借りる/買う時が,最も「読む」モチベーションが高い時であるからだと思うのです。そういえばレンタルDVDもそうであるかもしれない。理想的には,借りた本/DVDに関しては,その日のうちに読んで/見て,そして次の日には返すようにすれば,延滞などの心配もないですね。私はたいていの場合,本もDVDも借りてすぐに読む/見るのだが,返すのが億劫で期限ぎりぎりに返すのがほとんどであります。思えば借りて/買ってすぐに読まなかった本というのは,絶対その後も読まない。
この点に関しては,「そんなことはわかっているが,それができないから困っているのだ」という反論も多いに予測され得るものです。なるほど正論です。しかし「それができない」本というのは,要するにそうするほどのモチベーションを喚起しえないものだと思うので,だったら別に,読まなくていいじゃん,と思う。なんでみんな「読書をしていない自分」に後ろめたさを感じるのかなぁ。私は逆に,読書している自分に後ろめたさを感じますが。
ただ,このシステムを破壊しうるのが,アマゾンをはじめとするネットを媒介とした販売形態である。この場合,モチベーションが最高潮に達しているのはまさにクリックするその瞬間であって,それからしばらく経って実際に現物が届いた時には,もうやる気を失っていたりする。こうして「積ん読」がはじまるのです。しかし私が研究に使う本というのは,たいていこのシステムでしか入手しえないものなので,ポストに届いたのを確認するや「やっと来たか,やれやれ長い道のりだった」と妙な達成感を覚え(この場合,「配達」というミッションしか達成されていないのだが),切羽詰まっている時に確認の必要が生じ,青い顔をしてあわてて読んだりします。そう,今のような時に。そしてこういう本は,「読まなくていいじゃん」では済まされない。さてどうしましょうか。しかしこういう場合,つまり「モチベーション云々ではなく『読まなければならない』本をどう読むか」という場合においても,結局は手に入り次第すぐに読む,ということでしか解決され得ないのでしょうなぁ。つまり,アマゾンで買おうがAbeBooksで買おうが,届いたらすぐに読む,と。
それからもう一つ,私が本を読む際に大事なポイントとしていることは,

読み始めたら読み終わるまで読む。

です。これは研究書では難しいので,小説に限りますが。というかこれはポイントというより,ほとんど「やらなければ気が済まない」ことです。小説を分割して読める人,すごいねぇ。私は気になりすぎてどうしようもなくなるのです。そしてこれも,逆に言えば,そのくらいのモチベーションを喚起しえない小説はおそらく自分に合っていないか,あるいは「その時の」自分に合っていないので,読みません。ピアノも文学も,専門ならではの苦しみを知らなくてよかった,と思うのはこんな時。専門にすると「気が向かない時にはやらない」というきっぱりとした決断が,どうしてもできなくなってしまいますもん。
さてアイルランド語に行きましたら,やっぱり話題は神の見えざる手に関するものでした。しかしながら皆様,ナショナリスティックに反仏感情に燃えているとかアイルランドへの同情でよよと泣いているとかそういうわけではなく,日本においてアイルランドがとっても話題になっている今の状況を,「もっと揉めろ」と楽しんでいらっしゃるご様子でした。あはは。そして私も,そうです。