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論文刷新会議・論旨仕分け

勉強

さて今日はDCPの残りをやったわけですが,授業時間のぎりぎりまで女史を付き合わせたうえ,最後の最後に論旨展開に関してものすごく重要な提言をいただきました。あら!本当!ちなみに,音読と読み聞かせという推敲方法を教えてくださった先生にこの読み聞かせ会の実践の報告をし,「大変良い方法を教えていただき感謝しております」と申し添えると,「私が修論を書いていた時は,そんなことを頼める人はいませんでした」と返事が返ってきた。「良い友人を持ちましたね」と。
さて,これでひと通りの無駄の洗い出しが終わったわけだが,こうしてみるといよいよもって論旨展開の無理や,第1章の存在価値などが疑問に思われてきたので,帰宅してひとしきり頭を抱えたのち,ものすごく大胆なことを試みにやってみた。具体的には第3章を第1章に持ってきて,旧第1章は廃止に近い削減ということにいたしました!2万字程度の,最も時間をかけた章ではありましたが,ええ,ばっさり。理由は簡単で,脳内で行われた「論旨仕分け」において,「第1章に持ってくる意味は何ですか?注ではだめなんですか?」という脳内蓮舫の質問に対し,脳内担当者が満足に答えることができなかったからです。まだ閣議決定(最終推敲)を経なければならないので,これで決定というわけではないが。
アイルランド語は学術的に確かに価値があるが,英語のプレゼンスが拡大していく現在において,アイルランド語を「日常使用言語」のレベルにまで復興させる意味は何なのか。こういった疑問が呈され,それに対して復興主義者が解答を求められる。私は修論でこういった言説も扱っています。つまり,「何が何でも古いものはいいもの」という,ある種「聖域」を保護するような復興主義の言説が通用しなくなり,具体的なメリットと展望を示さなければならなくなっていくのが,私の扱っている時代のアイルランド語復興運動です。それに「なぜ」価値があるのか,それを復興させることでどのような利益がもたらされるのか,という点に対してもきちんと説明できなければならなくなるという時代です。考えてみればこんなに時宜を得た話はない。これは先日はにわ女史と話したことなのだが,学術研究や科学技術の予算が削減されるということに対して危機感は確かにあるけれども,「具体的に役立てなければいけない」「メリットを提示できるようにしなければならない」という,投資を受けてプロジェクトを立ち上げるという点では言ってしまえば当たり前の観点を提示した,という点ではいいことでもあったんだろうなと思う。論文だろうがアイルランド語だろうが国家予算だろうが恋人だろうが洋服だろうが,「あってもいいかもしれない」レベルの,でも「具体的にどう役立つのかわからない」というものを取っておいたり,積極的に採用できるほどの余裕はない。それはまぁやっぱり,当たり前のことなんでしょう。しかしそれなら諦めなければいけないという話でもなくて,要は,説明して納得させればいいわけです。なぜ必要なのか,どのようなメリットがあるのか。この手のレトリックを弄するのは割と得意,というか好き(!?)な私です。
しかしそれでも,若手研究者の育成や科学技術発展には,私の第1章とは比べ物にならないレベルで価値があることは明らかなので,先日KIDくんが教えてくれたURLに出向いて,「そんなことしたら頭脳流出を免れ得ません」という旨のメールは早速しておきました。ちなみに私がメールを送ったのは,若手研究者の問題と,女性研究者の問題について。募集期間はまだもう少しあるので,この仕分け結果が死活問題であると感じる大学院生の皆様,ならびに大学院生にシンパシーを抱く皆様,メールしてくださいませ。
さて,私の方の論旨仕分け会議に戻ります。「刷新」できるかどうかがポイントですよね。がんばります。