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スリーピー朦朧

勉強

昨夜,作業をしていたらまた4時や4時半になってしまったからか,それともついに体が現実逃避を始めたのか,もうとにかく今日は日中眠くて眠くて仕方なかった。朝起きられないし,昼は昼で眠くなるし(もう無理!と思ったので少し寝た),夜は多少持ち直したものの,のんべんだらりとした気分は続いているし……どうでもいいけれど「のんべんだらり」って,気だるさとだらしなさを的確に表現したというか,言い得て妙というか,とにかくそんな感じの擬態語(なのか?)だと思う。
こうして私がわざわざ自らのただれた生活を暴露したのには意味があって,というのは要するに,こんな感じで異常に眠い時というのは,たいていどこか体調に異常をきたす前触れであることが多いからである。要は警戒しているのです。今日は早く寝ようと思います。もう意識的に「早く寝よう」と思わない限り,早く寝ないしね。
修論で言説分析なんてやっているとつくづく学んだことだが,わざわざ発言しているというのは,必ずや何かを訴えたくて発言しているわけである。たいていの場合,人は自らの立場が危うい,もしくは敵対派閥の人間など,とにかく対立している立場の人から痛いところをつかれた時,慌てて発言している。昨日も書いたが私の扱っている研究材料の場合,「アイルランド語を復興させることにはこんなに意味があるんだよ!」と言っている裏には,「アイルランド語なんて復興させてどうすんの?」という意見があったわけです。しかもその意見が「学術的な価値は認めるけど,なんで話さなきゃいけないの」というまったくもって理にかなった「おっしゃる通りでございます」なものであったために,慌ててその方策を練ったというのが面白い。これがもし,「アイルランド語になんてまったく価値はないわ!」とかいう意見だったら,「学術的な素晴らしい言語に対して価値がないとは俗物め!」で,不毛な舌戦になっていただけだったと思うのです。しかし「価値があるのは認めるけど」と言われたことで,形勢が逆転してしまったわけです。ワンクッション置いた批判というのは器の広さや多角的な視野を演出できて最強なので,皆様も積極的にご利用ください(例:「あの子,悪い子じゃないとは思うけど,でもバカだよね」)。おそらく日本の学術界においても,これから現実社会への役立たせ方という点において,何らかのこじつけが大いに行われていくでしょう。私の研究も,この昨今の風潮を予見し,その方策を暗示するものと言えなくもなくもなくもない。
章構成を大幅に変更したのが昨日の夜だが,今日は試しにそのやり方ですべて並べ替え(その過程で第1章を全削除)てみた。あら。なんかしかるべき方向ですっきりとまとまり,さらに大きいことまで言えているわよ。少なくとも,今の時点ではこれがベストであるように思える。さっそく先生や先輩に相談して,客観的なご意見を頂戴してみよう。しかし第1章を削除したためか,その前から調子に乗ってばっさり削除していたからか,最盛期には9万5千字ほど(!)あった私の修論は,今や5万字強に。一転して今度は「少なすぎるのでは」と不安になってきた。そりゃ長さは関係ないけどさ。関係ないけど。
それにしても,来週はちょっとした人生の岐路に立ち,再来週にはすべて終わっているなんて,信じられない,まったく信じられない。