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bold or coward

勉強

件の章構成案,さっそく先生2人と先輩1人にお見せしたら,お3方ともすぐにお返事をくださった。先生1人と先輩1人に共通していたご意見が「ずいぶんと大胆なカットをしたものだね」「しかしわかりやすくはなっている」。もう1人の先生からは「まとめようまとめようとするあまりスケールが小さくなっている」「あなたがもともと言いたかったことは,とても意味があるものだったのに削るのは残念」「がんばってみたらどうだ」。
うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーむ。
どちらのご意見も,矛盾するものではない。すなわち,第1章をまるまる削るという私の決断は一見すれば大胆なものだったにせよ,第1章をそのまま載せておく方がもっと大胆というか不遜であった。とにかく「私が言いたいことはこんなところに位置づけられるんだぜ!」と前面に押し出していたものであったことは間違いない。ただその分,扱うものが広大すぎて,論旨が散漫になっていたことも確か。しかし臆することなく,玉砕覚悟でその難問に立ち向かい,案の定玉砕し,満身創痍で涙を浮かべながら,破綻した修論を震える手で提出し,博論あるいはPh. D. thesisに捲土重来を誓う,というのがあるべき清々しい修士2年生の姿であるのだろう,とは思うのです。要するに私の行動というのは,大胆な半面臆病でもあるということである。確かに守りに入っている点は大いにある。アンビシャスだと失笑されているのが取り柄のような人間だったのに。野心家が守りに入る瞬間ほどつまらないものはないですよね。エビゾーとか。いやいや私めのような小娘を,天下の色男エビ様に準えるのは不謹慎だとしても。なにはともあれ,扱いに困るものをばっさり捨ててしまうというのは,実は限りなく臆病な人間のすることなのです。粛清に粛清を重ねた歴史上の独裁者の事例がそれを物語っている。ヒトラー然りポル・ポト然りフセイン然り。今のままでは,私は第1章やアングロアイリッシュの扱いから逃げたのだと言われても仕方ない。
しかしながら私は,せめてカトリーヌ・ド・メディシスくらいにはなりたいので,いやいや,もっと広げてアリエノール・ダキテーヌくらいにはなりたいので,私の長所であ(り短所でもあ)る野心的な側面は,序論と結論にてしっかり出しておこうと思います。それに今までは構成のことなどを何かご指摘受けるたびに「えっ,うそっ,どうしよっ」とおろおろ慌てふためいていたが,今回はそれでもこれで行きたいと思うあたり,たぶんベストな構成なんだと思う。たぶん何でも,ある程度は客観的なご意見を取り入れつつ,最後は自分で納得できるように,自分の責任で決めなければならないんだから。