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インスタント専門家

勉強

学校に用事があったついでに,学振の面接を明日に控えている友人のリハーサル台になる。審査員の学者先生がどれほど申請書をお読みになっているかは定かでないが,それでも一応読んで臨まれるということにはなっているわけだし,と思って申請書を送ってもらい,読んでから聞いたのだが,なんだかその数時間で私,てんかんについての専門的知識をがっちり身に付けた気がする。てんかんが起こるメカニズム,現行の医療の限界,今後の研究や治療法の展望などなど,今なら私,酔った時に語り始めるかもしれません。しかし人の発表を聞くとその改善案はいくらでも思いつくくせに,自分の発表となるとごっちゃごちゃである。
最近は修論のこともあるし,学振のこともあるしで,歴史を専門とする人以外の意見を聞きたい場面が多く,友達のいない私はすぐにピアノの会の人脈に頼るのだが,考えてみればこんなにお互いの研究内容に関して語らうのは,友好も6年目になろうとする今にして初めてなのである。そして改めて思うのだが,この人たちは贔屓目を差し引いてもものすごく頭がいいぞ,ということである。せっかくの優れた人脈を,6年間も無駄にしてきた気がしてならない。会室でのくだらない会話や,下ネタや,餃子パーティーやカプースチンや,ろくでもない恋愛や,権力争いや,「ピアノの椅子に座った時点を演奏開始として演奏時間を計測する」という規定や,その他もろもろの瑣末な,目先の楽しい物事に紛れて。やっぱり,いかがでしょう皆さん,ここはいっそ道楽のピアノなんてやめにして,定期的に研究報告会を開くというのは……それかせめて,演奏会のついでに研究報告会を開くというのは……

アイルランドがまた,何やら面白いことを始めました。
これも私が修論で扱った言説の中に,「アイルランド語には,(英語やフランス語などの)近代的かつ合理的な言語にはない,響きの美しさや表現力がある」などといったワケわからんものがある。まぁこの「うちの言語は響きが綺麗」とかいう主張はアイルランドに限ったもんでもないのだが,それにしても神経の太い主張である。血迷って何を言い出すか,ご乱心か,と言わんばかりの。でも,アイルランドのそういう泥臭さが私は好きです。「引き際を美しく」なんて発想は,アイルランドにはないのです。「まだ言ってんの?」とか「いい加減諦めろよ」とかいう声が聞こえてきそうですが,そんなことはどうでもいいのです。転んでもただでは起きない,どんなに格好悪くても,人様に笑われようとも,一向に気にせずに目標達成に邁進する,そういう者に私はなりたい(この詩の冒頭は「フランスニモ負ケズ FIFAニモ負ケズ」でいかがでしょうか)。
明日から12月だなんて嘘でしょう。