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Thuirling clúmh liath ar mo smaointe.

勉強

ピアノの場合,どの曲にも共通する「最も大事」な部分とは最初の1音に他なりません。私の論文の「最初の1音」は「1923年12月15日」です。さて,私は何をエピグラフ的に使おうとしているでしょうか。イントロ,ドン。アイルランド史研究者ならびにアイルランド文学研究者ならば,「1923年」の時点でわかってもおかしくない。イントロクイズにするのなら「せん……」で最初の回答ボタンが高らかに鳴るようなところだろう。要はそれくらい,王道の始め方をしているということです。
さて,上の問題の答えなぞどうでもよろしいのですが,始め方と同じくらい大事なのは,終わり方です。ショパンの,バラード1番に例えれば譜面番号206番から最後まで,バラード4番に例えれば譜面番号211番から最後までの部分にあたるところ,すなわち結論を今日書いていたのですが,なにぶん今日は頭が冴えていなかったために筆が遅々として進まず,なんだかつまらない結論になってしまったような気がする。結論なんてものは最もクリアカットに書かなければならないのではないでしょうか(どうでもいいけど「クリアカット」って,いかにも明晰そうでかっこいいですよね)。バラ1で言えば,半音階が難しいとか言っているようではだめなのですよ。バラ4で言えば,3度移動で躓いていたりしてはだめなのですよ。しかしながら私にとっては,それがなかなか難しい。タイトルに挙げた"Thuirling clúmh liath ar mo smaointe."とはこの前のアイルランド語教室で習った表現で,英語訳すれば"Grey downy mildew descended on my thought."つまり「白いもやのようなものが私の思考を覆う」。日常会話ではおそらく使わない表現です。だってこの出典,詩だもん。

件のバラード4番,「譜面番号211番から最後まで」はこの動画で言えば3:26のあたりから始まります。しかしどうせ見るなら,最初から(ぶった切られているのでpart 1から)ご覧ください。これは私の勝手な好みだが,クラシックのオムニバスCDとかでよくあるやつで,「ラフマニノフ ピアノ協奏曲2番より」とかいう風においしいとこ取りしてあるの,ものすごく嫌いなんです。作曲家と作品を愚弄するのもええ加減にしろ,と言いたくなる。それにこの動画で言えば,2:20あたりから始まるコーダの予兆みたいなクライマックスの,特に3:02であの理知的なツィメルマンが「ぴょん」と跳ねるところ,それから3:05の「おおっと,アクション出たー!」的なところは割と見ごたえがあります。3:08でカメラアングルが奏者の正面に切り替わった時のツィメルマンの表情も,色気があって素敵です。贔屓目を差し引いても,奏者が男性の場合,その色気がこれほどまでに余すところなく表れる楽器というのはピアノの他にないような気がします。他の楽器と違って,ピアノはどうしても「格闘している」感が出るのがいいですよね。ピアノに向かう女性はサディスティックに見えるが,男性はマゾヒスティックに見えるという私の持論はこういうところから来ているのだが。
しかし久しぶりに楽譜見たなぁ。ピアノ弾きたいなぁ。