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笑ってよ僕のために

勉強

来週月曜日はイェイツの読書会に復帰させていただくことになっているので,今日はテキストをコピーするために学校へ。次回扱う詩は詩集『葦間の風(The Wind among the Reeds)』より,「鈴付き帽子(The Cap and Bells)」。そういえば,私の好きなアンデルセン『絵のない絵本』の第16夜がちょうどこんな話だった。

第16夜

絵のない絵本 (新潮文庫)
「私はひとりのプルチネッラ*1を知っています」と,月が言いました。「見物人はこの男の姿を見ると,大声にはやしたてます。この男の動作は一つ一つがこっけいで,小屋じゅうをわあわあと笑わせるのです。けれどもそれは,わざと笑わせようとしているわけではなく,この男の生れつきによるのです。この男は,ほかの男の子たちといっしょに駆けまわっていた小さいころから,もうプルチネッラでした。自然がこの男をそういうふうにつくっていたのです。つまり,背中に一つと胸に一つ,こぶをしょわされていたのです。ところが内面的なもの,精神的なものとなると,じつに豊かな天分を与えられていました。だれひとり,この男のように深い感情と精神のしなやかな弾力性を持っている者はありませんでした。
劇場がこの男の理想の世界でした。もしもすらりとした美しい姿をしていたなら,この男はどのような舞台に立っても一流の悲劇役者になっていたことでしょう。英雄的なもの,偉大なものが,この男の魂にはみちみちていたのでした。でもそれにもかかわらず,プルチネッラにならなければならなかったのです。苦痛や憂鬱さえもがこの男の深刻な顔にこっけいな生真面目さを加えて,お気に入りの役者に手をたたく大勢の見物人の笑いをひき起すのです。
美しいコロンビーナ*2はこの男に対してやさしく親切でした。でもアレルッキーノ*3と結婚したいと思っていました。もしもこの『美女と野獣』が結婚したとすれば,じっさい,あまりにもこっけいなことになったでしょう。プルチネッラがすっかり不機嫌になっているときでも,コロンビーナだけはこの男をほほえませることのできる,いや大笑いをさせることのできるただひとりの人でした。最初のうちはコロンビーナもこの男といっしょに憂鬱になっていましたが,やがていくらか落ちつき,最後には冗談ばかりを言いました。
『あたし,あんたに何が欠けているか知ってるわ』と,コロンビーナは言いました。『それは恋愛なのよ』
それを聞くと,プルチネッラは笑いださずにはいられませんでした。
『ぼくと恋愛だって!』と,この男は叫びました。『そいつはさぞかし愉快だろうな!見物人は夢中になって騒ぎたてるだろうよ!』
『そうよ,恋愛よ!』と,コロンビーナは続けて言いました。そしてふざけた情熱をこめて,つけ加えました。『あんたが恋しているのは,このあたしよ!』
そうです,恋愛と関係のないことがわかっているときには,こんなことが言えるものなのです。すると,プルチネッラは笑いころげて飛び上がりました。こうして憂鬱もふっとんでしまいました。けれども,コロンビーナは真実のことを言ったのです。プルチネッラはコロンビーナを愛していました。しかも,芸術における崇高なもの,偉大なものを愛するのと同じように,コロンビーナを高く愛していたのです。コロンビーナの婚礼の日には,プルチネッラはいちばん楽しそうな人物でした。しかし夜になると,プルチネッラは泣きました。もしも見物人がそのゆがんだ顔を見たならば,手をたたいて喜んだことでしょう。
ついこのあいだ,コロンビーナが死にました。葬式の日には,アレルッキーノは舞台に出なくてもいいことになりました。この男は悲しみに打ち沈んだ男やもめなんですから。そこで監督は,美しいコロンビーナと陽気なアレルッキーノが出なくても見物人を失望させないように,何かほんとうに愉快なものを上演しなければなりませんでした。そのため,プルチネッラはいつもの二倍もおかしく振る舞わなければならなかったのです。プルチネッラは心に絶望を感じながらも,踊ったり跳ねたりしました。そして拍手喝采を受けました。
『すばらしいぞ!じつにすばらしい!』
プルチネッラはふたたび呼び出されました。ああ,プルチネッラは,ほんとうに測りしれない価値のある男でした!
ゆうべ芝居が終わってから,この小さな化物はただひとり街を出て,さびしい墓地のほうへさまよって行きました。コロンビーナの墓の上の花輪は,もうすっかりしおれていました。プルチネッラはそこに腰をおろしました。そのありさまは絵になるものでした。手はあごの下にあて,眼はわたしのほうにむけていました。まるで一つの記念像のようでした。墓の上のプルチネッラ,それはまことに珍しいこっけいなものです。もしも見物人がこのお気に入りの役者を見たならば,きっとさわぎたてたことでしょう。
『すばらしいぞプルチネッラ,すばらしいぞ,じつにすばらしい!』

『絵のない絵本』はひとつひとつ粒ぞろいの物語ばかりなのですが,この物語は本当にもう,私の中ではトップを争います。こんな悲しい物語があってたまるか。恋をしながら空回りする自分の状況を「ピエロだ」と例えてその悲しみを吐露してくださった方を私は数人見たことがありますが,いやいやご冗談を。ピエロと言うならこれくらいやってくれないと。自分のことを客観的に「ピエロだ」なんて思えているうちは,しかもそれを悲しんでいるうちは,言っちゃ悪いが全然ピエロできていません。
で,次回のイェイツの詩も,若いお姫様(というか女王様?young queenとあるが)に対して叶わぬ恋……とまでは書かれていないが,少なくとも楽しませようとあの手この手を試みて悉く失敗し,最後に思いついたのがこれ。

'I have cap and bells,’ he pondered,
‘I will send them to her and die’
道化師は考えた,「僕にあるのは鈴付き帽子
これを贈って死んでしまおう」

あとはリンクから原文を読んでいただければと思うのだが,魂(soul)も心(heart)も拒絶した姫は,鈴付き帽子だけは受け取りましたとさ。道化師のその後は,結局書かれていない。あーロマンティックだー。すてきだー。相手がお姫様というところも,中世っぽくていいですね。ただ,今まで読んだ詩の中では割と情景が思い浮かびやすいし,綺麗な詩だと思うのだけど,一方で習作っぽい感じもするというか,「ちょっとバラッドっぽいの作ってみた」感じもするというか,どうもイェイツが何を考えてこの詩を作ったのかよくわからないところがある。「再臨(The Second Coming)」とか「Ego Dominus Tuus」みたいな,ガツンと来るものは感じられなかったなぁ。特に「再臨」は,私なんかみたいな門外漢が読んでも,すごいの一言しかないような詩なのです(「Ego Dominus Tuus」は難しすぎるところがあってですね……)。書かれたのが1919年だから,第一次世界大戦がどうとか,ロシア革命がどうとか,イースター蜂起がどうとか,そういう歴史的な背景についていろいろと言われるし,歴史学の人間としてはもしかするとそっちに飛び付かなければいけないのかもしれないけれど,人間の想像力の前に,実際に起きた事件とか背景なんて無力なもんだなぁ,と私は思ってしまいます。この詩に描かれている禍々しさには,第一次大戦ロシア革命も蜂起も到底かなわないインパクトがある。さらに禍々しさだけでも終わっていないところが思慮深いですね。さすが「恐ろしい美が生まれた」なんて美しい言葉を使える人の詩です。実はこの詩,先生から担当者を打診されたのだが,その頃ほかのゼミの発表の準備で忙しかった私はお引き受けできなかった。安心する半面悔やまれもする。
閑話休題,「鈴付き帽子」にもいろいろと気になるところは出てきたので,報告者さんのレジュメを楽しみにしておこう。願わくば,いつも通り道化師がイェイツで若き姫がモード・ゴンなんてことがありませんようにと言いたいところだが,まぁ,大方そうなのかもしれない。

*1:イタリア即興劇の道化役

*2:イタリア即興劇の女主人公

*3:もう一人の道化役