読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

軽蔑

読書

『マイトレイ』だけ読んで返してしまってから約3ヶ月,ついに,ついに,ついに読んだ。これはすごい。男目線の恋愛小説(と言えたものか?)としては,今まで読んだ中で1,2を争うかもしれない(とはいえ依然トップには『舞姫』が君臨しているのだけれども)。
恋愛のパターンとして,男は付き合うまでが勝負,女は付き合い始めてからが勝負,というものがあるのだとか。「釣った魚に餌はやらない」という言葉もある。一般化はできないだろうけど,確かにそうである気はする。だとすればタイミングの一致が不可欠なんて言っても,もともとタイミングなんて合おうはずもない。そういえば以前,「仕事と私どっちが大事なの」的な命題について,友人(male)と議論したことがあった。「付き合っているのだから」という安易な根拠づけで,恋人がいつも自分のことを好きでいてくれると思いこむ甘えた考えが許せないのだ,例えば仕事やなんかでデートができなくなるとして,デートの予定は最初からわかっているのだから,それを損ねない程度に仕事を前倒ししておくことはできるはずで,それを無闇に「忙しい」だのと言い訳するのはキャパシティの狭さと計画性のなさを露呈するものでしかない,「仕事と私どっちが」を愚問だと言うのであれば,そんな愚問を発するほど不安にさせるような行動を取った自らを省みるべきだと私が言ったのに対して,彼は「付き合っている相手が自分のことを無条件に好きだと信じて何が悪いのかわからないし,仕事やなんかでデートの予定が潰れるにせよ,君が好きなのはそういうこと(つまり仕事やら)をがんばっている僕でもあるのではないかと思ってしまう」と言ったのであった。こう説明されてもなお,私はまったく納得できなかったのだった。この齟齬もおそらく,相手が自分のことを無条件に好きだ/大事に思ってくれていると信じているかいないかという点に収斂するのではないかと思われる。多くの女の子は,付き合いだしてからも相手が自分のことを常に好きでいてくれるとは思っていないんじゃないか。可愛くあろうとするだろうし,まぁよほどのことがない限りデートをドタキャンしたりしないだろうし,「彼が浮気するんじゃないか」「彼は私と結婚する気があるのか」「ふられたらどうしよう」はガールズトーク三大テーマであると言っても過言ではない(ちょっと過言かも)。
で,この『軽蔑』の主人公リッカルドも,妻エミーリアは完全に自分に依存していると思っている。冒頭の方では,妻のことを鬱陶しく思ったりもしている。それがある日いきなり,別々の部屋で寝ようと言われ,態度も少しずつ変わってきて,こんなはずじゃなかったこんなはずじゃなかったとひとり悶々とし,エミーリア本人に問いただしてものらりくらりと交わされているうち,ついにエミーリアが「もうあなたを愛していない」「あなたを軽蔑するわ」と言う。あとはもう,どこが悪かったのか言ってくれ直すから,となだめすかし,懇願し,しかしエミーリアの心は離れていく一方で,といった具合で,ああもう見るも哀れかなという感じである。恋愛に限らず何でも,無条件に信じていたものが跡形もなく崩れた時,人間はかくもみじめなのね。何が悪かったのか,何がいけなかったのか,自分で考えても答えなど出ようはずもないのにどうしても考えてしまうという描写も,モラヴィアの冷徹さを感じさせた。とにかくこれを読んでしまうと,そこらの恋愛小説なんて所詮妄想だなぁと思えてしまう。経験のないに等しい私が偉そうに言うけれど,人を好きになるというのは,本来はおそらく,ものすごくみじめで格好悪くて恥ずかしいことである。メタ的に挟まれている『オデュッセイア』についてのフロイトかぶれのドイツ人の説を聞いてリッカルドが考えることも,なんでも自分の文脈に引きつけて考えてしまう状態を的確に示しているように思う。ラブソングで涙したりとか。かと思えば,最後の最後まで,ごくごく緻密に描写がなされている割に,ふわっと夢のように終わってしまう。どんな大変なことが起こっても,終わってみればあれってなんだったんだろう,という気がしたりする。この小説の終わり方はおそらく非常に印象深いもので,もっともっと重要な解釈があるのだろうが,少なくとも私はそんな状態に似ている気がした。
本を読みたいけど何を読めばいいかわからないという時に,世界文学全集というのはとても便利である。外れがないし。子供が産まれたらまずは百科事典と文学全集を揃える,という中産階級的な風習が復活すればいいのに。