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ヴィクトリア女王 世紀の愛

映画


24歳になるこの記念すべき日に見る映画はもう,これをおいて他にありません。7つの海を総べた偉大なる小娘ヴィクトリア女王こそは,我々のような19世紀ブリテン歴女(?)が常に意識すべきお方。私も将来,娘が出来たらぜひとも「勝子」「勝美」「かつ」というヴィクトリアスな名に……(ちょっとどうかしら)。
さて映画だが,やはりついつい『エリザベス』と比較しながら見てしまうなぁ,というのが感想である。おそらく一般的にもそうなのではないか。今後も,イギリス王朝ものが封切りされるたびに,『エリザベス』と比較してどうだという基準は免れ得ないのだろう。それではわかりやすい比較基準を得たところで,『エリザベス』と比べて今回の映画が低い評価を得るとしたら,という点を挙げてみよう。

1. 女王への道筋
エリザベス1世の場合,何と言っても母親アン・ブーリンは姦通の罪で処刑されているので,お姫様どころか私生児,しかも「あんな売女の娘」扱いなのである。さらにカトリックの姉ちゃん,ブラッディ・メアリからは恐ろしく嫌われており,宮廷中敵だらけである。エリザベスの場合,王位継承どころか,むしろそんなどん底の境遇から女王になり,カトリック等々の不平分子を退けて,ヨーロッパの辺境に過ぎなかったイングランドを強国へと「女だてらに」導いていく,というストーリーだけで強力な魅力になる。しかしヴィクトリア女王の場合,生まれた時から王位継承者と定められており,然るべき手厚い保護を受けながら成長し,ウィリアム4世の逝去後に普通に王位を継承するため,まずそこのハラハラ感はない。むしろこちらは,上にも書いた通り権謀術数渦巻く宮廷人事などなどが問題になってくるのだが,とはいえ摂政王政を達成して自らの意のままにヴィクトリアを操ろうとする母ケント公妃とコンロイを退けるかどうかだけが問題であり,そのあたりはやや見ごたえに欠けるかもしれない。

2. 女王になってから
『エリザベス』で描かれたような陰惨な宗教戦争とかがないので,若干地味に見えるかもしれない。しかし拷問や処刑のシーンが苦手な私としては,大変ありがたかったのだが。さらに,「敢えて」結婚しないという選択肢を取るエリザベスはこれまたそれだけで魅力的に映るのだが,ヴィクトリアはさっさとアルバートとの結婚を決めてしまうため,これも言ってみれば普通である。例えばメルバーン子爵がヴィクトリアの指導役であるが,実はメルバーン子爵には大変な野心があり……とかだったら面白くなったかもしれないが,メルバーン子爵は終始ヴィクトリアに好意的である。としたら後は,それぞれの思惑を抱えた夫君候補たちががんばってヴィクトリアの夫の座を得ようとする描写があればよかったのかもしれない。前王ウィリアム4世は別の縁組を望んでいたという割にその描写が少ない(一度ヴィクトリアの台詞の中で出てくるだけ)。アルバート公を強力にプッシュしたのはアルバートの叔父たるベルギー国王レオポルド1世だが,いざ婚姻が成立してからのベルギー側からの計略もほとんど出てこない(レオポルド1世は甥に何度も手紙を送るが,スルーされる)。アルバートのお兄ちゃんエルンストも弟の恋を応援しており,基本的に2人の恋は順風満帆である。

波乱万丈なド根性ストーリーであり,「絶対女王になってやる!絶対イングランドを強国にしてやる!絶対カトリックに負けるもんか!」という気概の感じられる『エリザベス』に比べれば,こちらはすべて綺麗にお膳立てされた順風満帆ストーリーであり,その分かなり地味に見えることは必定である。まぁ史実を変えることはできないので,それは仕方ないのだが。要するに「君臨すれども統治せず」体制以前/以後で,イギリス王朝ものの派手さはかなり変わるかもしれない。エリザベスは「君臨するし統治もするぜ」だが,ヴィクトリアが自由にできるものは限られていたわけだし。というわけで結論は「やっぱり恐るべし,『エリザベス』」ということになるでしょうか。
とはいえ,こちらはこちらで,いい点もいっぱいありました。まず何よりもヴィクトリア役のエミリー・ブラントが可愛い。ちょっと鼻もちならない女性を演じればピカイチの彼女であるが,実は笑顔がものすごく可愛い方なのです。今回はその笑顔パワーがいかんなく発揮されており,わたくし悩殺されてしまいました。イギリス王朝ものだと,とかくいかめしい雰囲気を出そうとしているのか,出演者の笑顔を見ることがほとんどないと思うのだが,この映画は割と自然体だったように思う。かといって無理やり親しみを出しているのではなく,むしろ厳粛さは滑稽なものとして(窓の内側を拭くのと外側を拭くのが違う管轄だったり,ジョージ3世の近衛兵のための晩餐があったり)描かれていた。
しかし,「世紀の愛」という邦題は少々余計である。よくある配給戦略であろうが。というのも,この映画は確かにヴィクトリア女王アルバート公の出会い〜結婚にクローズアップしてはいるけれども,前半は王位継承権を持つ若きヴィクトリアを巧みに利用せんと企む周囲の権謀術数,およびそれに大してヴィクトリアがいかに己を見失わず,進むべき道を見出していくか―の描写が主である(要するに描き方は『エリザベス』とほぼ同じ)。映画が公開されるとすぐに邦題がどうだの字幕の訳がどうだのという論争があって,ほとんどは実にくだらないので出来るだけ与したくないのだが,まぁ今回は「ヴィクトリア」もしくは普通に「若きヴィクトリア」でよかったのではなかろうか,とだけ思った。
ところで,冒頭に書いたことと関連するのだが,この前イギリス史のセミナーの後のディナーで,イギリス人の先生を囲んで冗談半分で女王に乾杯を捧げたことがあった。その時にアイルランド史の先生が,「私はアイルランド史なので女王には乾杯できない,だから共和国に」とおっしゃっていた。私はというと,危うく女王に乾杯するところであった。映画もこんな風にイギリス王朝ものを好いているあたり,やっぱり私はロイヤリストやらユニオニストの研究に鞍替えすべきかもしれない。