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multiple choice

つれづれ

さすが24歳にもなると違う,と思ったのが,先日いきなり男性をご紹介いただくお話をいただいたこと。しかも偶然,同日に2人の友人から。と言っても全然具体的ではないのだが,へぇ,これが,と他人事のように感心してしまった。「友人の紹介」なんて万国共通普遍的なものかと思うのだが,やはり日本のそれは少々独特であるかもしれない。文化人類学に興味を持つ者としては,このあたりのシステムをちょっと調べてみたいものです。「現代日本の婚姻における『友人の紹介』」。合コンでもなくお見合いでもなく,あくまで自由恋愛の神話を損ねない程度に周囲がお膳立てするシステム。「友人の紹介」ならOK,という線引きみたいなものも感じられますよね。例えば披露宴の新郎新婦紹介の時,「2人の出会いは半年前の合コン」とは,あまり言われないだろう。必ずや「合コン」は「友人の紹介」に言いかえられるはず。こういう視点から調べて,「今や婚姻は『女性の交換』に留まらず,『男性の交換』でもある」みたいな結論が導き出せないかしら,しかしそんなことは既に70年代くらいになされている気もする。そして文化人類学のフィールドワークでは「参与観察」が原則なので,私は足しげく合コンやパーティーに参加し,また周囲の方々にも積極的にご紹介を賜らねばならない。もしかしたら一石百鳥くらいの価値があるかもしれない。そもそも上記のお話自体が「まぁそのうち」くらいの実現可能性なので,論文の執筆には通そうです。
文化人類学云々の話は今思いついたのだが,そのご紹介システムを受けて思ったのが,ほほう,これが選択肢というものか,ということである。昔,自力でお相手を見つけることのできない人,もしくは迷ってしまう人は,外的に選択肢が与えられ,そしてその中から選ぶといういわば「セイフティ・ネット」のようなシステムが構築されているのだな,ということを(私自身は大嫌いだが友人や母や妹は欠かさず見ていた)『あいのり』を見て考えたことがある*1。比較としてどうかわからないが,近代イギリスの救貧システムには自助→互助→チャリティ→救貧法,という四重のセイフティ・ネットが構築されている。自助できない人が互助に頼り,それもダメな人はチャリティに頼り,そして最終的には救貧法のお世話になる(が,1834年制定の救貧法には「劣等処遇の原則(最下級の労働者より下の扱いしか受けられない)」があったため,よほどのことがなければ避けたかった)というのがそれなのだが,現代日本における恋愛セイフティ・ネットも割とこんな感じで,緻密に組み立てられているのかもしれない(こんなこと言うと「恋愛してない人は貧者なのか」と言われそうだが,筆者自身もそれなので他意は全く御座いません)。今の私は「互助」の段階にいるのだろうか?自助(自力で出会う)→互助(友人の紹介,合コン,お見合い等)→チャリティ(結婚相談所などの結婚ビジネス?),しかし「最悪の場合,救貧法」みたいなものはおそらくここにはない。一生独身で通すのもまた,自立した素晴らしい生き方だと思うし*2。人から選択肢を与えられるなんてみっともなーい,絶対やだー,と高校生の私は思っていたのだが(ガキんちょだったので),24歳の今になって思えば,選択肢があるなんて,それもお友達の皆様に与えていただけるなんて,なんと幸せなことでございましょう。「条件」とかいう言葉が会話に出てくるようになったのが生々しいが,ともあれこうしたシステムの中に身を置いてみるのも面白そうです。好奇心かよ,という話だが。
しかしこの「選択肢がある」ということは,恋愛のみならず,日常においても有益なことであろうと思われる。「これしかない」と思いこむより,「これがダメならあれで」と思える方が,余裕も出てくるし幅も広がりますよね。今日もピアノのレッスンで,「スランプに陥った時,このやり方がダメならあれでやってみよう,というような練習の選択肢が全然思いつかないんです」と悩みを口に出してはっとした。そう考えれば今まで,これがダメならあれでいいや,くらい身軽に考えることができているものの方がうまくいっているかも。家庭教師の生徒に英作文を教える時も,「この表現が難しいなら他の無難な表現で,ってすぐ考えられなきゃダメだよ」とアドバイスしている割に,最近自分ができていなかったりする。「退路」になってしまうとダメだろうけど,プランB,プランCはいつも考えておかないとね。そしてそれを即時に思いつくかどうかが,人間としての強さを示すような気がします。どうも思いこみが激しいのは昔からの悪癖なので,これは24歳の目標の1つに据えたいと思います。

*1:そういえば大学受験の問題とかも,難しい問題は記述式だが,易しいものはマーク式とか選択問題とか一問一答とかだし。

*2:余談だが私は「孤独死=悲惨」みたいな報道にものすごく違和感と憤りを感じる人間である。