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貴族以外の何者にもなれません

つれづれ

女性ファッション誌というのは本当に多くの種類があって,しかもそれぞれターゲットが違う。私はこちらの日記でも何度も書いている通り,withやらMOREやらの愛読者である(どっちかと言えばwithかな)。この前時間を潰さなければならなくてコンビニで立ち読みしていた時,こんな機会でもなければ読もうとも思わないし,少しは違うジャンルのファッションにも目を向けてみようかと思ってZipperを繙いてみたのだが,案の定というかなんというか全く趣味が合わず,ただ興味深く眺めただけであった。同じ理由で開いた小悪魔agehaの方は,もはや興味深く眺めることすらもできず,3回ほどぱらぱらぱらとページをめくってすぐに棚に戻した(あの雑誌,なんというか,疲れるんです)。実家に帰ってみたらwithの最新刊があったので早速読み耽ったのだが,ああ,このコンサバな感じ,やっぱり落ち着く。恋愛系の特集とか,裏表紙に必ずと言っていいほどある婚約指輪の広告写真(今月号はカルティエ)とか,やっぱり落ち着く。別に毎号買っているわけではないし,読んで特に何を参考にするわけでもないのだが,落ち着く。やっぱり人はいきなり大きく自分を変えようとしたって,そうそう変えられるものじゃありません。ひところに比べてだいぶ意識してカジュアルな服装を取り入れようとしている私が言うのだから,間違いない。結局私は(基本的に)コンサバである。それが良いことであろうが,悪いことであろうが。

ベルサイユのばら 愛蔵版(第1巻) (Chuko★comics)

ベルサイユのばら 愛蔵版(第1巻) (Chuko★comics)

ベルサイユのばら』で私が最も好きな台詞は,「文句があるならベルサイユへいらっしゃい」でも「千の誓いが欲しいか 万の誓いが欲しいか」でもなく,貴族身分を捨てて平民とともにバスティーユ襲撃に加わることを決めたオスカルが部下の貴族(誰だっけ)に「君はどうする」と聞いた時,その貴族が答える「われわれは(中略)貴族以外の何者にもなれません」である。もう涙が出るほど感動しますよ,このシーンは。アンドレが死ぬところよりもオスカルが死ぬところよりもルイ16世が処刑されるところよりも(だいぶ言い過ぎた)。
しかし本当に,この1つの台詞がこの作品に奥行きを与えている,と私は思う。アンシャン・レジームの腐敗した貴族も,もちろん描かれているんです。幼いピエール坊やを銃殺したド・ゲメネ公爵とか,これまた幼いシャルロットを自殺にまで追い込んだロリコンのローラン・ド・ギーシュ公爵とか(特にド・ギーシュ公爵の方,作中への本人の登場はないのに,ポリニャック伯爵夫人がシャルロットに言う「ド・ギーシュ公爵は若い娘がお好きなのよ」の一言だけで強烈な嫌悪感を読者に与える希有な存在です)。しかしそれだけだったら,貴族はみんなバカで自分の地位に恋々としていて,世間知らずのルイ16世とアントワネットは彼らにいいように扱われていて,挙げ句スウェーデン貴族のフェルゼンと不倫までして,あとはオスカルやアランやラファイエットミラボーや,そこらへんの一部良識ある貴族が平民の側へついて革命を起こした,というだけの単なる予定調和的(目的史観的)な物語になっていたことだろう。しかし,特権階級が全国民によって否定されるのを知りながら,もはや貴族以外の何者にもなれない,と自らの運命を受け入れる潔さ。貴族身分を捨てるオスカル達よりもよほど美しい貴族のあり方ですよ。ポジティブに自分のアイデンティティを受け入れるわけでは決してなく,それどころか諦念のようなものすら感じられるのだが,それでいて投げやりであるわけではない身のふり方。これぞ,真の貴族ですよ。滅びの美学ですよ。『斜陽』ですよ。「高等御乞食」なんかでは決してない,これがいわゆる「気品」というものなんだなぁ,と『ベルばら』を初めて読んだ高校生の私はいたく感動した覚えがあります。あと,テュイルリー宮に囚われの身となったアントワネットが民衆の怒号によってバルコニーに引き出された時,動じることなく優雅にお辞儀をする場面も感動的ですよね。こちらは有名な場面だが。
さて,なんでいきなりこんなことを言い出したと言うと,まぁ考えたことが色々あったからなのである。何を考えたか,というのはちょっと色々伏せたりするのが面倒臭いので詳しくはここに書かないが,要するに,現状と今の自分は,どのようであれ受け入れていかなきゃいかんなぁ,という当たり前の結論に達したわけである。背伸びもできないし,いきなり大きく路線変更することもできそうにないし(貴族が平民になれないように),だったらやっぱり,今までやってきたことの積み重ねは大切に,これからも積み重ねていかなければいけないなぁ,というか。疑問を持ったというのは,悪いことではないのでしょう。むしろ喜ぶべきことかも。それからもうひとつ,こっちは別に大したことではないので(というかくだらないことなので)書くが,アイルランド語を勉強していて,辞書の中に私の大切なテーマであるAnglo-Irishを表すアイルランド語Gall-Ghaelachを見つけ,嬉しくなったのである。Anglo-Irishでなぜ『ベルばら』なのだ,と聞かれることを予測して至極簡単に答えておくと,Anglo-Irishってもうこの上なく斜陽な人々で,だから私,好きなのです。そのへんが,しばらく考えていたことと妙にリンクし合ってしまいまして。私の考え事と『ベルばら』の貴族(および女性ファッション誌),それにAnglo-Irishをつなぐ1つの真理とは,受け入れることの大切さ,ということになろうか。
今日はなにやらワケのわからないことを書きましたが,別に何があったわけでもなく,相変わらず実家で穏やかに過ごしております。ついに花粉症を発症してしまったと見え,作業効率がおそろしく悪いのが困るのだが。それになんといっても,昼にはものすごく久しぶりに吉本新喜劇を見ることができました(おそらく関西以西では,土曜日の13時からテレビ放映がございますの)。Mr. オクレを見た時にはもう思わず叫んでしまいました。しかししばらく見ないうちに結構代替わりしたようで,女優(?)さんが揃いも揃って美人であった。不細工役の方まで,比較的美人であった。もっと顔にインパクトのある新人はいないのか?