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見はるかす瀬戸の島々

余暇

両親に引きずられるようにして,妹の卒業式に出席してきた。私の母校でもあるこの高校は,他にもピアニストの有森博や浅越ゴエを輩出しております。特に最近は後者の知名度が上がってきたので嬉しい限りです。以前なんて,内輪だけで「プラン9浅越ゴエってここの出身らしいよ」と言っても「誰それ,知らん」「名前は聞いたことあるかもしれん」とかいう程度だったのに。あとちなみに「右側左側」というコンビもうちの出身らしくて,私の在学中に文化祭で漫才をやっていたのですが,登場早々「みなさん,×××してますかー!」と中庭で思いっきり下ネタを叫びやがり,教員と生徒を全員顔面蒼白にしたのであった。もう大枚の金貨を支払ってでも,絶対にゴエを呼ぶべきだと思います。安いからって駆け出しは使っちゃいかん。その一方で友人の高校ではアメリカザリガニやらますだおかだやらを招聘しており,とてもじゃないけど「うちは,右側左側が来たよ」なんて言えなかったという悲しい思い出がある。
不肖6年前に答辞を読ませていただいた人間としては,やっぱり送辞やら答辞が気になるところなのだが,ご両人ともご自身の高校時代の思い出を縷々述べるだけで,特に面白くなかった。思い出を語ること自体はスピーチのひとつの「型」として成り立つだろうが,それがメインになっちゃダメだろう。思い出はスパイス程度にして,このスピーチで何を述べたいか,メッセージを明確にしないと,ただ話があっちへ飛びこっちへ飛びしただけの印象しかない。でもこれは,論文を書く時の教訓にもなりますね。何か述べたいことが明確にあって,例示や引用はそのスパイスになるようなものにしないと,ただ言いたいことをまくし立てたみたいな印象しかなくなってしまいますよね。何を隠そうこれは,試問やら面談やらで,私自身が思いっきり指摘されたところなのですね。スピーチは特に「読んで」もらうための文章ではなく,「聞いて」もらうための文章なので,ますますそういう粗が目立ちやすいところである。高校生のスピーチからでも,学ぶところがたくさんありますね。「現実が夢を壊すこともある。ならば,夢が現実を壊すことがあっても良いではないか。」答辞の彼が「僕の好きな言葉に,こんなものがあります」として引用していたこの言葉,私はミスチルか何かだろうと思ったのだが,ジョージ・ムーアでした。ムーア,「夢にきらめけ,明日にときめけ」みたいなことを言う。
それから吹奏楽部と管弦楽部の連合楽団は,相も変わらず入りが下手である。特に校歌,昔から思っていたのだが,音楽の先生は「アウフタクト」を教えないのだろうか。休符を意識して入らないからバラバラになるんですよ!この「休符を弾く」というのは,楽器演奏においては必ずやできなければならないことである。いまいち自分の演奏が垢抜けないと悩んでいる方は,休符を意識するだけでかなりいい演奏になると思いますので,ぜひお試しあれ。私もさっそく休符を見直してみよう。高校生の演奏からでも,学ぶところがたくさんありますね。
そういうわけで,思いもよらずたくさんの収穫がある式典でありました。「気が進まないこと」の中に,いかにやりがいを見つけられるかで人間の素質がわかるとしたら,私はなかなか前途有望な人間である(と思いたい)。何より,帰りに買ってもらったパン(私はニートか何かか?)がものすごくおいしかった。デニッシュ生地にカスタードホイップがサンドされていて,いちごのトッピング。下手なケーキの何倍もおいしかった上,お値段なんと100円です。ハローズ当新田店のパン屋さんにあるはずなので,お近くの方はぜひ。