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始動♪

勉強

今度サークルの演奏会に出る同期の中で修士は私を含めて数人いるのだが,うち1人は来春晴れてご就職,残り3人は博士に進学する予定である。そして博士進学メンバーは3人とも,このたびDC1への採用が内定しているというめでたい状況である。というわけなので,この前のリハの時はみんなで抱き合って喜びをともにし,来春からこれこれこういう形態で生活&研究させていただきます,と高らかに宣言したのだが,他のサークルメンバーからは祝福を受けるどころか「社会のダニっ」などと散々な面罵を受けた。ひどいわい。しかしこれはP会オリジナルの手荒な祝辞に違いない(と信じたいんですけど,そうよね?)。ただ,お給料をいただいて生活させていただきながら遊ぶのでは,本当にダニ化してしまう。私はみんなに先駆けて,来春からの博士進学が内定しているが,「ドクター」ではなくて「ダニ」のDになってしまう(うまいことゆーた)。ダニ1年の○○です。これでは同じ学振採用者の皆様にも,博士課程の皆様にも,国民の皆様にも申し訳が立たない。
というわけでもう面倒なことは考えるのをやめ,万難を排して色々と参加することにしました。何より今回はピアノがあるし,他にも色々な研究会が立て込んでいるので懸念していたのだが,ピアノは私にとって本来趣味でしかないので,「ピアノがあるから本業をおろそかにする」なんてことは許されてはならん(もとよりそのつもりはなかったけれども)。研究会が立て込んでいて,そのそれぞれに予習復習が必要であるということも,まぁ,なんとかなるでしょうよ。スケジューリングとプランニングさえきっちりできれば。というか私の場合,この2つさえきちんと出来れば,もう後は出来上がったに等しい。要するに,未定のことがいっぱいあるという状態が気持ち悪い性分であるようです。
そうと決まればさっそく目先のことから片づけていこう,と思って今日はイェイツ読書会の課題である'The Shadowy Waters'を……読もうとして気づいた。私のとってきたこのコピーは,どうやら版が違っている。よく見たら"Poems not in the definitive edition"って……決定稿じゃないやつをコピーしてどうするんだ!そういえばコピーする時,なんかページ番号がやたら最後の方でおかしいなぁと思った記憶がある。私の場合,この「おかしいなぁ」という勘は百発百中と言って過言ではないほど当たるので,もう少し自分を信用すべきであった。このように思わぬ凡ミスでかなり出鼻をくじかれたものの,なんとか決定版を手に入れ,とりあえず目を通すことはできた。なんだかやたらめったら難しい詩のように感じたけれども,これから何度か読み直してみましょうか。劇詩なので読書会では朗読もやってみましょうということなので,もし出席できるとしたら,私は何の役に振り分けられるのだろうか。わくわく。

W.B. Yeats: A Life : The Apprentice Mage 1865-1914

W.B. Yeats: A Life : The Apprentice Mage 1865-1914

参考にこっちの当該部分(?)も読んでみたけれども,どうやらイェイツ,この頃はミューズたるモード・ゴンにぞっこんだったようで,いやほぼ一生を通してぞっこんなのだけれどもこの頃(1898年〜1900年頃)はとりわけぞっこんだったようで,しかしモード・ゴンにはものすごく思わせぶりな態度を取られていたようで,もうなんかちょっと,哀れであった。キスまでした仲なのに,「もう会わないで欲しい」と懇願されたりとか(she "begged me to see her no more"),イェイツの再度のプロポーズにも「肉体的な愛は絶対嫌なの(I have a horror and terror of physical love)」と断られたりとか,不憫すぎる。イェイツの方はそれでもmy most true friendだなんて言っていたようで,ああ,健気すぎるわよ,イェイツ。friendだなんて,毛ほども思っていないくせに……!しかしその格好悪さこそ,イェイツの詩作の原動力のひとつであったと思えば,なかなかどうして実らぬ恋にうじうじするのも一興である。別れた彼女への未練を語る男友達に,「まぁ,ならそれでいいんじゃない,『コレラの時代の愛』みたいな感じで」などと言い放った経験もある私なのだが,ほらやっぱり,未練たらたらがこんな成果を生んだ偉人もいるじゃない。格好つけて生きる必要なんてないんですよ,全く。ある程度格好つけることは必要だろうけど。ただし,「一興」というのはやっぱり他人事だから言えることなのかも。自分がやるのはごめんである。