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The Shadowy Waters

学校

今日は駒場でイェイツ読書会,毎年恒例の春休み5時間SP。私はこういう「ゼミ祭り」的な行事が非常に好きなので,そういえば今年度は本業のイギリス史ゼミで毎年夏休みの1日を費やして行っている修論構想報告会がなかったのが残念だった(普通に通常の授業時間にやった)。
さて今日の読書会は,結論から言うと滅法面白かった。出席できなかったメンバーの方も多かったようなので,小ぢんまりと6人くらいでやったのもあってかもしれないが,やっぱり最初に朗読したのがよかったような気がする。私の台詞はやたら少なかったが(後半などほぼエキストラみたいな状態),それでも詩の世界には否が応でも入り込めるというもの。台詞の中にrhinoceros(サイ)という単語が出てくるのだが,ここ数日間発音の練習とかしていました。ライスィロゥ。
先生があらかじめ参照すべき論文をご指定くださっていて*1,私は今朝あわてて総合図書館の書庫に走って参照したのだが,詩の中に出てくるさまざまな表象を当時いきなり沸騰したナショナリズムに対するイェイツの懸念として読み解くというものであった。私は個人的に,この時代の保守派(あるいは,保守「派」とまでは行かなくても保守的な人たち)の動向に大変興味があるので,大変面白く読んだ。特に,保守派といっても「自治?ふざけんな!」というような主張のゴリゴリの保守派ではなくて,こういう一見ナショナリスティックなことをやっていながら,熱狂すると引いてしまう立場の人たちがもうとっても好きなのである。でもその一方で,文学作品というのは「これはオリエンタリズム作品だ」とか「これは多分にジェンダー的だ」とか思ってしまうともうそうとしか見えなくなることがよくあるので,この詩に関しても柔軟に読み解くのは大変だろうなぁと思った。特にこの詩は,イェイツのミューズ,モード・ゴンへの失恋の余波が著しい詩だとずっと言われていたものなので。しかしイェイツの詩は,どれを読んでも「この詩のこの部分がすごく好き」と思うような,涙が出るほど美しい表現があって素晴らしいです。今回も色々あったのだが,中でもやっぱり"How shall I name you, immortal, mild, proud shadows?"がとってもよかった。議論の中でも出たけれど,「うまく言葉に表すことができない,むしろ言葉にしてしまいたくない」という繊細な感情が現れているように思う。イェイツは必ずしも性格の良い人ではなかったらしいのだが,こんな美しい言葉を使える人はそうそういない。なぜこの人じゃダメだったんですか,モードさん。というのは私が,(この日記の中で何度も書いたと思うのだが)気のきいた言葉を口にする人に弱いからである。おそらく。だから私だったら,「お前たちを何と名づけよう,不滅で穏やかな,気高き影よ」なんて口ずさんでいる人を見たらもう,すぐに,……警察に通報するだろう。
夜は奄美料理屋さんで打ち上げ。出てくるものがどれもこれも珍しいものばかりで,しかもおいしかったのでいちいち感動しながら食べていたのだが,それにしても私たち以外にお客さんがいなかったのはどういうわけか?

*1:Ikeda, H., 'The Power of the Harp: Anxiety about Nationalism in W. B. Yeats' The Shadowy Waters' in Studies in English Literature, no. 46, 2005, pp. 37-54.