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恐怖のかたち・第1日目

勉強

えっとなぁ,どうしようかなぁ,他にも研究会色々あるしなぁ,ピアノもあるしなぁ,「気軽に」とか書いてあるけど,いざ行ってみたら超demandingでしたとかだったら困るしなぁ,でも面白そうだなぁ,どうしようかなぁどうしようかなぁ,と2月いっぱい逡巡し続け,結局どうなったかと言うと,ある日もったいなくも主催の那須先生からじきじきのご勧誘をいただき,感動して参加を決意した研究会,いよいよ今日が第1日目であった。研究会でなくても何でも,私はこういう「一本釣り」に極端に弱いので,将来はおそらく連帯保証人とかになって借金地獄に陥ることでしょう。別に「断れない」わけではないのだが,どうも「この人はわざわざ私を選んで声をかけてくれた,他の誰でもなく私を」というのに弱いらしい。そしてたいていの場合,別に声をかけてくれた人はそんなつもりではないというのが悲しいところである。まぁいいように言えば,ロマンチストなのですね。運命とか信じてしまうタイプなのですね。One Loveですね(「世界中にただ一人だけ 僕は君を選んだ」)。そんな私にぴったりですね,感情の文化史

恐怖のかたち––感情の文化史を考える

Forms of Fear: Cultural History of Emotions?
講師:マーク・ジェナー(ヨーク大学)
第一回:2010年3月17日(水)
第二回:2010年4月5日(月)
於:国際基督教大学

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 近年の文化史研究の歩みは、ピーター・バーク『文化史とは何か』(長谷川貴彦訳、法政大学出版局、2008・2010年)に紹介されている通りです。しかし個々の歴史研究において文化史の方法論をどのように活用することができるかと問えば、私たちの理解はまだ漠然としたものかも知れません。言語論的転回などの理論をめぐる議論が目立つ一方で、歴史学全体への文化史の具体的な貢献は見えにくいようです。
 文化史を取り巻くこのような状況を打開するには、優れた先行研究に学ぶだけでなく、その方法論を実践することで、どのような新しい視野が開けるのかを自ら体感することが重要だと考えます。今回の若手研究を主体とした参加型ワークショップは、そうした試みの第一歩です。
 ワークショップでは、参加者が4〜5名程度のグループに分かれます。各グループは、研究テーマと史料を選定し、その史料をもとにどのような議論を組み立てることが可能かについて、英語で15分程度のプレゼンテーションを準備します。マーク・ジェナー氏を交えて行う第2回目で全グループが発表を行い、また発表内容について参加者全員で討論します。専門分野の異なる研究者との共同作業を通じて、創造性に富んだアイデアの交換を楽しむことが狙いです。ワークショップ終了後に有志で共同研究を続行する可能性もあります。ジョイント・ペーパーの執筆、投稿へとつながるような、質の高い生産的な議論が展開されることも今回の目標です。
 今回のワークショップのテーマは「感情/emotions」です。感情には喜怒哀楽などさまざまな形態がありますが、とくに「恐怖/fear」に焦点をあてます。感情の歴史、あるいは感性の歴史は、アラン・コルバンなどアナール派の歴史家たちの仕事が日本では紹介されており、恐怖についてはジャン・ドリュモーの『恐怖心の歴史』(永見文雄・西沢文昭訳、新評論1997年)が知られています。一方で、「感情」の歴史研究という明確な目的意識はないままに「反ユダヤ感情」「ペストの恐怖」といった言葉を私たちも歴史叙述に使っています。しかし、感情とは何でしょうか。感情を歴史研究の対象とすることには、どのような問題があり、それはどうしたら乗り越えることができるのでしょうか。こうしたことを考えるために、ワークショップではさまざまな「恐怖のかたち/forms of fear」に、多角的に迫ります。

研究会は先生から趣旨説明があった後,グループにわかれて指定テキストについて議論。私がいたグループでは,3本目の論文にあった「感情のカオス」という概念(?)が話題に上った。簡単に言ってしまえば,私たちは感情に適当な言葉をつけてわかった気になっているけれども,果たしてそれはどこまで信用できるものか,言葉でうまく表せないような感情もあるのではないか,言葉はどこまでperformativeなのか,というもの。なにやら哲学的な話になってきたが,こういう議論は大好きなのです。また「感情」を扱うということについて,近世や中世ではそれが成立するかもしれないが近代では難しいかどうかという話になり,こうなると私は(おとといイェイツ読書会だったこともあるし)何かしら生半可なことを言わずにいられなくなった。ということで「文学作品などを読んでいると,普通ならネガティブな感情を表す言葉を敢えてポジティブに使っていたりする」と発言。感情にさえも,社会的に推奨された秩序がある,という話へと進んでいきました。
昼食後は,この研究会のメイン・イベントでもある4/5のグループ発表について,先生のお手本発表。17世紀のいわゆる「怪談」について,当時の知識人の著作2点を史料に,どうも著者は「恐怖(fear)」と「理性(rational)」を対置的にとらえていたのではなくて,「理性的な/あるべき恐怖(rational fear)」というものがあると考えていたのではないか?というお話をされ,これまた非常に面白かった。ご発表の後は,どんな「fear」があるかについて出席者全員でアイデアを出した後,さらにどんなものが史料になりうるかというものについて話しあった後,実際の発表のためのグループ分け。私は「change」に対するfearについての班に入った。それから全員で端末室に移動して,実際に史料の検索をしながらどんな方向でリサーチするかの話し合い。私たちのグループ(私を含めて3人)はウィリアム・モリスの思想でやってみようかという話になった。王道といえば王道なのだが,前提知識が特にあるわけでもない人間が3人集まってどこまで何ができるかな,という一種のチャレンジ精神である。
先生も最初におっしゃっていたが,「大学院にいると,何かの発表を引き受けるというのはそれなりにプレッシャーが大きく,人の時間を割いてもらっているという責任意識も働いてどうしても自分の得意分野の話をして後はひたすら批判をかわしてゆく,ということのくり返しになってゆく」。それはそれで,自分の研究に自分できちんと責任を持つ/人前で話しても恥ずかしくないようなきちんとした研究をする,という点においてもちろん正しいことなのだが,どうしてもタコつぼ化してしまうところもある。それになかなか「共同研究」という形も,文系だとないし。今回はこうしたいろいろな意味で,とても面白い研究会になりそうです。先生ありがとうございました!