読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

JSOKJS

つれづれ

君に届け』の興奮が冷めやらない筆者でございます。こういうのは1人で胸キュンするのもいいだろうが,それよりは多数で胸キュンを共有した方がよほど楽しい。女友達のみなさん,どうにか求めて読んでいただけませんか。
今日,親が妹に「明日は(友達と)ご飯食べた後デザートでも食べながら話でもするんじゃないの」と聞いていて,うちの親ってこんな物わかりのいい発言をするんだったかしらん,と私は軽く仰け反ったのだが,大学に入ってからというもの,私が思っていたほどうちの親は厳しいわけではなかったんじゃないかと思うことが多い。実家で暮らしていた頃の私はもう周囲に類を見ないほどの箱入り娘であって,例えば小学校の時など,「今日帰ったら遊ぼう」という誘いに対してその場でOKすることはまずなく,「帰って(親に)聞いてみる」と一旦保留にするのが常であったし,高校の時もテストの最終日に友達とご飯を食べてカラオケに行くなどといったことは,だいたいその日の前2週間くらいから,あのその実はええっと今度のテストが終わったらみんなでカラオケ行こう言うてまして,その,どうでしょう,私も一緒に行ってもよろしゅうございましょうか云々,と頼んでおくのが通常であった。まぁ「ご飯を食べる」くらいなら,それが決まった時に親に連絡すれば大概はOKだったが。言ってみれば(私は経験したことはないが)会社で有給を取るようなシステムだったのである。余談だがこう書いていると,なんだか身持ちの堅い良家の令嬢な雰囲気で(もちろん今でも身持ちは堅いですが!)非常に良い感じである。教育を受けるようになってから12年間,テストの結果は返却されるたびに律儀に親に見せていた。それが妹を見ていると,どうも「今日は遊んでくるから」などの即日アポは当たり前のようだし,むしろ帰りが遅かったのでどうしたのかと聞くと,遊びに行っていたと答えるというような事後報告すらも当たり前のようだし,もちろんテストなどここ数年親に見せていないのではなかろうか。
こうしたことは私と妹の個人的な性格の違いにも起因するだろうし,長女である私の教育には親が心血を注いだが次女である妹に対しては肩の力を抜いているという,まぁよくある感じの2人以上の子供の育て方なのかもしれないが,しかしどうも,私が勝手に心の中で親の存在感を大きくしていたという可能性も否めないのではなかろうかと思われる。かといって親の言いなりだったわけでもないので,要するに私が妙に「筋」やら「けじめ」にこだわる(任侠?),律儀な子供だったに過ぎないと思う。しかし私が思っているほどには,別に親もそこまで求めていなかったような気もするのである。大学に入学して東京での部屋を探す時も,私は当然ながら,見ろやこの規則と門限,カッチカチやぞ,な女子寮に入れられるものと思い込んでいたのだが,「門限が11時なんて無粋」という妙に理解のある理由から,もとより女子寮は候補から除外されていた*1。思えばあれが最初の驚愕であった。それからというもの,妹がテストを見せていないらしいということを知り,驚いて親に「あの子テスト見せてないの」と聞いた時も「だってあの子別に持って来んから」という気の抜けた答えで拍子抜けしたり,色々と,ええっじゃあ私は何だったの,と思うところが多いのである。親自身は別に何も言っていないのに,親の存在感が私のリミッターとなっており,つまりは私が勝手に「遊ぶ時は親の承諾を得る」「テストの結果は必ず報告する」などの規則系統を定めて自らに課していたのではなかろうかという気がするのである。しかしまぁ,それはそれで教育の成功ではあるのだろう。他律から自律へ,知らないうちに移行していたわけだし。両親かつ良心。うまい。それに大学に入ってから知った周りの子女の箱入りっぷりは,到底私の比ではなかった。みなさま大切に大切に育てられていらっしゃる。
しかし実はこれ,もしかしてよくあることなんでは,と思うのである。特にうちの大学では。そもそも個性など模倣から生まれるというが,自律も他律もそれと似たところがあって,他律なくして自律は有り得ないと思うのである。その際,「親の言うことを聞く」という一義的ルールがいつの間にか内在化され,無意識に「もしうちの親だったらどう言うか」「このことを隠蔽したとして,そのことが親にバレたらどうなるか」などという視点が物事を判断する際の良心になるということは,あってもおかしくないんじゃないか。というわけで親のことを厳しい厳しいと思っていたが,最近案外そうでもないことに気づいたという方,いらっしゃったらぜひ語らいましょう。なんなら協会でも立ち上げましょう。JSOKJS(Japan Society of しいと思っていたがうでもなかった)。いかがでしょう。

*1:これには,親が東京に出てきた時に泊まれないのは不便であるという理由もあったのだが。理解があるわけだぜ。