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修論ご報告

学校

記念すべき初・修論報告。ご都合も考えず何度も何度も原稿を送りつけたのに快く応じてくださった先生/先輩方や,留学先からskypeで電話をくださってリモート校正までもしてくださった先輩や,9万字の第2稿の朗読に延々付き合ってくれたまほこさんや,お仕事で疲れていても私の気分転換に必ず付き合ってくれた舞ちゃんや,ひたすら一次史料から抽出した記事を和訳するのに疲れて逃避行した忍野村で私(と,みほ様)を温かくもてなしてくださったinashoさん・ともちゃんご夫妻や,もう巻頭謝辞どころか巻末にエンドロールだけのDVDをくっつけたいほどの人々のご助力をいただいて完成させながら,口頭試問を経てまたしても多くの方々にご心配をおかけした,本当に本当に手のかかる我が子の初陣である。
口頭試問の直後はもう涙も出ないほど茫然自失となったので,今回も,それこそ「うちの子,いじめられないかしら」と心配はしていたのだが,今日はやってみると意外につつがなく終わった。先輩には褒められたところもあり,そして何より「面白かった」というご感想をいただけたのがとても嬉しかった。試問の後はもはや,100ページ弱もの駄文を片面印刷してあまつさえ製本までするなんて,なんとエコに逆行したことをしてしまったのかしら,と思うとMother Natureにひれ伏して謝りたくなってしまったほどだったが,今日は大変前向きな気持ちで下校することができました。
しかしやっぱり,分析の甘さについてはきちんとご指摘を受けた。「共存可能性の模索」が私の論文の結論なのだが,そういう美しい話に終わらせてはならないはずで,かすかに聞こえる不協和音にもっと耳を傾けるべき,というのが今日の収穫であった。「言説分析には人の性格が出る」という言葉を,合格発表直後の面談以来に聞いたのだが,今日やっとその真意に近付けた気がする。19世紀後半のアイルランド語復興運動の言説を額面通りに受け取ってしまった私の論文には,世間知らずで甘ちゃんな私の性格がそっくりそのまま映し出されていることでしょう。今回見えたこの点については特に,深く反省して今後の研究で役立てていかなければならない。今日はドイツ史のゼミだったからドイツの例えで指摘されたのだが,例えばヴァイマール共和国のように,(あくまでも後世から見れば)理想的に見える青写真が存在しながらその未来が選ばれず,過激な方向へと走っていったのであれば,やはりそこを考えなければならないと。修正主義の影響であらゆる必然から切り離されつつある蜂起という出来事をとらえ直すことが重要な課題になっていることを考えれば,「選ばれてもおかしくなかったが選ばれなかった未来」という視点はとても貴重なものになりそうである。
修士1年の時もそうだったが,論文のゼミ発表を経てはじめてその学年(今回の場合はM2)が終わったような気がする。ゼミが終わってすぐD3の先輩に「こうしてゼミで修論報告をしたら,みなさんどうやって研究のスケジュールを立てられてるんでしょうか」と無意識に質問していたところを見ると,自分でもいよいよ,名実ともに(?)博士課程に入ったのだという実感を持ったと見える。まずは留学の時点をいつにするか決めて,そこから逆算して計画を立てていくのだとご助言をいただいた。留学なんてまだ先だとか,実感が湧かないとか,そういうことも言っていられないようである。しかしとりあえずは修論の研究を発展させる目途も立ったし,やっぱり目の前のことからこつこつ片付けていくのが先決ですね。がんばろう。