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古典名作の説明の仕方

学校

今日の書評紙の会議の後話していて話題に上ったのだが,古典の名作って,実は人に紹介するのが難しいかもしれない。
例えば今日具体例として挙がったのは『こゝろ』と『斜陽』。どうややこしいかは,試しに皆様,『こゝろ』を人に説明してみればおわかりかと思う。私の場合は,以前ゼミの先輩が『こゝろ』をお読みになったことがないという驚愕の事実が判明したためにその経験があったのだが,何がややこしいって,「私」と「先生」の関係性である。「ええと,主人公は鎌倉に遊びにきた学生なんですけど,その人が海岸で『先生』に会うんですね。で,この『先生』っていうのはこの人の教師でもなんでもないんですけど,どうもこの人『先生』って呼びたいらしくて,いや,だからって狭義の『先生』じゃないんですけど」と,話の本筋とはあまり関係のないところで冷や汗をかくはずである。一番有名な「先生」の手記のところ(先生とKとお嬢さんの話)だけを抜粋して紹介してもいいだろうし,まぁそれが『こゝろ』のスマートな紹介方法だとは思うのだが,しかしそんな紹介では何のために漱石が三部構成をとったのかという話だし,「私」は出てこないし,どうせ『こゝろ』を紹介するならきちんと「私」という人間がいて,その「私」には田舎に大病を患う父がいるということ,また「先生」は叔父に騙されて財産を取られて人間不信気味であり,というくらいの情報は与えておかなければならないと思う。しかしそうなると,出てくるのが「私」と「先生」の関係性の難しさなのである。そもそもなんで「先生」よ。なんで「私」が「先生」のことを「先生」と呼んでいるか,そういえば全然考えてこなかった。初めてこれを読んだのはもう何年も前がが,幼い私はどうやって理解したんだ。広い世間にはそんな関係もあるのだろう,と流したのだろうか。そう思って今ぱぱっとCiNiiで「なぜ『私』は『先生』に私淑(?)しているのか」というテーマの論文がないか探したのだが,管見の限りでは見当たらなかった。有名な学説などご存知の方はお教えください。
それから『斜陽』。これも非常に説明しづらい。しかし少しばかりヒントがあって,これは友人あっちゃんに聞いた話だったが,彼女が知人に「読みやすい古典を教えてくれ」と頼まれ,「『斜陽』なんかいいんじゃないですか」と答えると,どんな話なのかかいつまんで教えてほしいと言われたそうである。そこで彼女がした説明とは「えっとー,まず『お母様』が朝スウプを飲んで『あっ』って言うんですよ云々」というものだったらしい。で,この話を書評紙の会議の後でそっくりそのまま話すと,「それ『紹介』っていうか,ただの『冒頭』じゃないですか!」と笑われたのだが,いやいや,少なくとも私は,彼女の説明は『斜陽』を紹介するものとして非常に適切なものだと思う。もちろん『斜陽』には他に紹介すべきところも多いであろう。マイ・コメディアンとかヨイトマケとか。しかし『斜陽』の雰囲気を何よりもよく伝えるのは有名なこの冒頭であって,いくら「没落する華族の娘かず子が母親や弟の死,不倫の恋を経験しながら戦後の世界の中で自我を確立しようと決意する話」であると言っても,その半分も面白さが伝わるまい。それに比べて「お母様がスウプを飲んで『あっ』」の冒頭は,確かにそれだけ聞けば意味不明であるが,否応なしに興味をそそる。冒頭を聞いて読もうと思う人は,かいつまんで「没落する云々」と優等生的な要約を聞くよりもよほど多いのではないか。
紹介しづらい古典名作はおそらく他にも枚挙にいとまがなくて(思いつく限りでも,『細雪』やら『失われた時を求めて』やら),もうとにかく読め,読めばわかるとしか言いようがないものも多い。しかし『斜陽』の例と同じく,冒頭もしくは自分が一番好きな件を朗々と暗誦するというのは有効な手のひとつかもしれない。今度紹介する必要が生じた時は,試しにやってみようと思う。もっともそのためには,暗誦するくらい読みこんでいなければならないのだが。