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鷹の井戸

余暇

国立能楽堂に『鷹の井戸』を見に行った。能楽堂は初めてでございました。
さて,なんでいきなり能なのかと言うと,この能はアイルランドの誇る詩聖イェイツが原作したものでして。しかもイェイツが作った詩を日本側が勝手に翻案したとかでもなくて,イェイツがもとからちゃんと能を意識して作ったわけである(イェイツは能をとてもお気に召したそうな)。……でもここまで書いて思ったけれど,西洋の人に能が書けるなんてすごい!と思うのは,東洋人の奢りというもんだろうか。「お箸の使い方がとてもお上手ですね」流の,バカにしているのか的な。黛敏郎團伊玖磨も,立派にオペラを書いているわけで,しかもそれを別段「日本人に書けるなんて」すごいとは思わないわけだし。
舞台はおそらく能デビューにはまったくふさわしくないようなもので,能をやっているのは老人役の梅若六郎のみ,鷹の精役は中国のプリマドンナヤンヤン・タン,クーフリン(「空賦麟*1」!)役は森山開次であった。私はアイルランド関係の人間だから見に来るとしても,他の観客の皆様は何を目的にいらしたのかと思った。それほど斬新な劇であった。ストーリーは以下の通り。

ケルトの若き英雄クーフリンが永遠の生命を求めて井戸にたどりつき,そこで水を求めたところ,井戸のかたわらにいた老人がこの水は涸れていて,これまでもたった三度しか水は湧いたことがないと言う。二人が問答をしていると,井戸を守るとみえていた女がはげしい鷹の声をあげ,打ち震えはじめる。老人はこれは水が湧く前兆だと言っているとまもなく,女は黒い衣裳を払って立ち上がり,鷹となって移り舞を始める。
クーフリンはその鷹を追い,老人は眠りこむ。舞のテンポがはやくなり,それもやがて歌い収められると,あたりはまったく元のままで,いったいクーフリンはそこに来たのかどうか,女は鷹になったのかどうか,何もわからない。すべてはひょっとして老人が見た一場の夢だったかもしれないという物語である。
松岡正剛の千夜千冊『鷹の井戸』より引用)

さて,断わっておくがこれはストーリーの「概要」ではない。これだけの話である。基本的には能なのだが,ヤンヤン・タンさんは所狭しと舞台上を(バレエで)踊りまわり,森山開次も飛びまわり,……残念ながら素人目にはあまり融和していなかったように見えたのだが気のせいだろうか。しかしその分迫力はあって,それも能のいわば「静の迫力」というよりも西洋舞台芸術の「動の迫力」が横溢していて,見ていて圧倒されてしまった。もちろんいちいち1つの動作が長いのだが,あっという間の1時間だった。そしてプレーン味の能の方にもとても興味が湧いたので,今度ぜひ学生席でも狙おうと思う。
ところでこの能はご覧の通り,得られるともわからぬ水を求めて葛藤する物語なのだが,今日電車の中でおもむろに炭酸水を開けて飲もうとしたら,炭酸水が吹きあがって周りの皆様に多大なるご迷惑をおかけしてしまった。また会場でパンフレットを購入したのだが,パンフレットの最後のページには以下のような広告が。

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誰かこれを空賦麟と老人に教えてあげてください……しかしこの広告,偶然とは思われないが,それにしたって気がききすぎている。ナイスアイデアである。
そのあとは学校に行き,一時帰国中の先生が開催なさった『チャリティとイギリス近代』の書評会。参加なさっていた他の先生方を中心に,「welfareとはそもそも『福祉』でいいのか」とか「mixed economyというが,救貧法のことをpublic charityと呼ぶ例もある。mixedってどこまで"mixed"なのか」とか,こちらが何も考えず前提条件としていたことを覆すような意見がぽんぽん飛び出して,非常に勉強になった。

*1:この暴走族みたいな当て字はどうしたことでしょう。