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愛を読むひと

映画

戦争と女性の関係を取り扱う時,その被害者性だけを見るのではなく,加害者性(たとえ無意識のものであれ)にも目を向けてみましょう,というのはもう常識の手法になっているらしい。これは別にいわゆる自虐史観ではなくて,より社会を重層的に見る上では絶対に必要な手順だということである。特にドイツ史ではナチス期の叙述の方法がとても大きい問題で,女性のナチスへの関わりはさらに大きい問題である*1
しかしそうした客観的な叙述に慣れた私たちにとっては,この物語は相当悲しい物語である。元SS隊員であったハンナが裁判でなぜSSに入ったのか聞かれた時,「SSにいい仕事があると聞いて」と言っていたが,たぶんハンナのように雇用条件だけを見て結果的に戦争の歯車になってしまった人は多いのである*2。しかもそれがたまたま敗戦国だったから戦争犯罪になってしまった,という悲しい結末になる。またハンナは,収容所のユダヤ人を移動させる途中で教会に泊まっていたところその教会が火事になったが,責任者であったハンナが教会の鍵を開けなかったために中の人々が焼死したという痛ましい事件について咎められたとき,「私は看守です,囚人を逃がすことはできません」とも言っていて,それもおそらくは,全く間違っていないのである。彼らは職責を全うした,または上官の命令に従っただけであって,それが正しいか間違っているかなど考える余裕があるはずがない。ハンナもまた,SSである前にひとりの勤勉な女性だったのだろう。戦後の再就職先であるトラムで,車掌業務から事務職への昇進を告げられることなど,それを物語っていたと思う。
しかし一方で,だから許せるかというとそういうわけでもない。最後,レナ・オリン演じるところの被害者女性が,ハンナの死後その遺志で貯めたお金を渡された時,「これをホロコースト関係の団体とかに寄付したら,あの犯罪を許したことになってしまう」と言っていたのが心に残った。またハンナを許せなかったのは,ハンナ自身も同じであったのだと思う。安易な赦しでお茶を濁して感動を強いるようなラストにはしないあたり,さすがだと思われた。誰もが被害者にも加害者にもなりうるという戦争の悲しさが全編通してとても注意深く描かれていた。
ただしこれほど無粋な発言はないことを承知の上で敢えて言うと,なぜドイツ語で映画化しなかったんだろうか。英語でナチス裁判を見せられても,いまいち入り込めないというか。まぁ,やはりまだデリケートな問題なのだろうし,仕方ないかもしれませんが。無粋ついでにもうひとつ言うと,無修正版はどうも生々しく複雑な気分になったので,これからご覧になる方はぜひ,修正版(あるの?)を選ばれる方がよろしいかと思います。思いっきりモザイク修正された『天国の口、終わりの楽園』を見たとき,別にアダルトな何やらを見ているわけではないのにと複雑な気分だったし,そもそもこの映画は行きつけのGEOでこの1枚しか返ってきてなかったので今回は無修正にしたのだが,無修正は無修正で複雑であった。一長一短というところか。

*1:そういえば現代史研究会で,ナチス占領下でナチ兵士の愛人となった女性が戦後どのように裁かれたか(報復されたか)について研究してらした方もいた。

*2:これは例えばアイルランド史でも,大戦中アイルランド人がイギリス軍に従軍したのは忠誠心云々よりも給料の問題だったという見解が出ている。