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レイチェルの結婚

映画

昨日の『愛を読むひと』をはじめいきなり新作揃いなのは,新作レンタルが100円だったからである。
家族愛を描いた作品というのは枚挙にいとまがないけれど,この映画のような視点は今までなかったんじゃないかと思う。いやーこれ,「ああ面白かった!」って感じでは決してないが,傑作ですよ。本当に。私が修論で言いたかったようなことはすべてこの映画で言い尽くされている。それも私の修論なんかよりよほど見事に(あたりまえだが)。そういうこともあってとても色々なことを考えさせられた映画だったので,とても長いレビューになりますがどうぞお付き合いくださいませ。
アン・ハサウェイ演じるところのキムは施設への入退院を繰り返すドラッグ中毒患者で,姉レイチェルの結婚式への出席のために一時退院して実家に戻ってくる。実家にはレイチェルの友達が集い,結婚式を準備している。家で開かれる手作り結婚式もさることながら,この映画の特徴のひとつでもある手持ちカメラの映像があたかもホームビデオのようで,一見すると温かい家庭像の典型のようである。しかしキムはいまひとつ居心地が悪い。父が食べ物ばかり勧めてくるのも,まるで腫れものに触るような接し方に感じるし,レイチェルやその友達にも冷ややかな目を向けられているような気がする。キムにはひとつ,取り返しのつかない過去があるのである。
この映画で素晴らしいのは,なんといっても「家族」をいたずらにユートピア化せず,家族ならではの鬱陶しさとかそういうものもきちんと描かれているということである。それは例えば,キムがいなくなった時レイチェルの友人(正確にはレイチェルの旦那の友人)パットが言う「(施設を出た後は)家族と顔を合わせるのが一番辛い*1」という一言によく現れている気がする。家族というと,今まではとかくすべての過ちを受け入れてくれるという描かれ方をされてきたと思うのだが,この映画ではまず,それが時に重石になるということがよく描かれている。特に取り返しのつかない失敗をしてしまったような時,自分を絶対に責めたりしない,絶対的な味方の方が絶対的な敵よりも脅威になりうることってよくあることである。「合わせる顔がない」とはよく言ったもので。面と向かって罵倒された方がよほどマシで,でもその一方で怒られて楽になりたいというのは自分勝手な言い分だということは自分が一番よくわかっているから辛いのである。
さらに,これもよくある感じで「家族は一心同体」みたいな描かれ方をしていないのもいい。よく夫婦は一番身近な他人などと言うけれど,それは血がつながっている家族でも本来同じことであるはずである。バックマン家はそれをとてもよく表している。ある種「異分子」であるキム,1年後にはPh.D.の取得を控えた優等生のレイチェル,上述のパパに,その後妻であるところのキャロル(キム,レイチェルとは血がつながっていない),そしてキムとレイチェルの実の母アビーがこの結婚式に関わるのだが,キムへの接し方はそれぞれである。特にアビーの描かれ方が絶妙で,キムが事件を起こした後,アビーはキムや家族に堪えられなくなって離婚にいたる。元夫や娘たちのことを「それなりに」愛してはいるが,必要以上に長居しようとはしなくて,花嫁の母という役割だけてきぱきとこなしてそそくさとその場を離れようとする。キムがバックマン家を飛び出してアビーの家を訪ねた時も,娘が思いつめた表情でやってきたというのに素っ気なく,あろうことかキムの起こした事件を責めて大喧嘩になったりする。なんと酷い母親かという話だが,でも実際は,これが本心なのではないだろうかと思う。とても多くのもやもやした感情が「家族なんだから」という一言で抑え込まれる一方で,アビーは実の母ではあっても「今や家族ではない」立場でそれらの感情を発露させる,いわばカタルシスの存在である。
また,キムに対して一見酷いのは姉レイチェルも同じである。妹が自分の結婚式のために帰ってきてはいるが,レイチェルはキムを決して歓迎してはいない。結婚式のリハーサルディナーでキムが場の雰囲気もわきまえずに自分の闘病経験を語ったことについて「あんたはいつも自分が中心でなければ気が済まない人間だ」と当たり散らしながら,話が佳境に入るといきなり妊娠を発表し,強制的に祝福モードへ戻そうとしたりする。それに対してキムは「こんな大ニュースで私の話をかき消すなんて酷い,ちゃんと私の話を聞いて」と訴えるのだがもはや誰も聞いていない。あいつのほうが大事にされている気がする,というのはおそらく姉妹間においては永遠に消えない強迫観念である。キム目線で描かれているところが多い本作であり,したがってレイチェルのこうした行動は一見すると酷いのだが,私は実生活で姉の立場にあるので,レイチェルの気持ちはとてもよくわかる気がした。もちろん妹がいるからというだけの理由ではないが,でも「姉としてちゃんとしなければならない」とは(無意識にせよ)おそらく思っていて,特にそれはキムがこんなだからなおさらなのである。少し実感を込めさせていただくが,レイチェルが博士課程の学生だったり,家族の問題を「専門的見地*2から」高飛車に分析して「博士課程だか何だか知らんが偉そうにするな」とパパにピシャリと言われたりするところ,もうなんか他人のこととは思われなくてですね……辛いよね,第一子ってやつは……。しかしその一方でキムの気持ちも理解できた。お姉ちゃんの結婚式で自分の身の上を話したり何かと自分の問題にみんなの注意を惹きつけようとして何度も準備をかき乱したり,挙げ句の果てには叔父さんに性的虐待をされていたなどという作り話をしていたりするのは,ただただ自分のことをもっと気にかけてほしいからだろう。しかしレイチェルだって気にかけて欲しいのは一緒で,しかも今は結婚式という,一生に一度のハイライトなのだからなおさらなのだが,良識として「もっと気にかけてくれ」とは表に出せないから,それを正直に態度に示す妹キムが余計腹立たしいのである。このあたりの姉妹の描き方にはとても透徹した目線が感じられて,実は私にとってこの映画の中で最も気に入った点であった。世の中の姉妹はみんなびっくりするほど仲が良くて,それは周りの友達を見ていてもそうだし,それこそ映画でも親友のような姉妹など良く出てくるが,いやいや,姉妹ってそんな甘いもんではないっすよ,とは常に声を大にして言いたかったところである。ただしこんなことを書くと,私はどれほど妹と仲が悪いのか,もしくはどれほど冷酷な姉なのかと思われそうなのだが,私だってもちろん妹のことは大切に思っている。しかしまぁ,彼女が妹でなければ,たぶん友達になったりはしていないだろう。ちなみにうちの妹は,もちろんジャンキーではないにせよやたらと繊細なところがあって,おかげで私はキムから彼女を連想しっぱなしであった。姉妹というのは本来,大変な葛藤を内在した関係性であると思う。レイチェルはメイド・オブ・オナーを親友エマに頼んでいたにも関わらず,「妹なんだから私がやりたい」とキムがごねるので(ものすごくうんざりしながら)エマに頼んで代わってもらうあたりなど,ああ姉ってこういう立場だし,姉妹の関係っていうのもこんなのだよね,とうなずける一幕であった。レイチェルのキムへの思いやりやキムのレイチェルへの慕情は時に完全な一方通行で,先述の家族の関係も含め,決して「相思相愛」にはなり得ない姉妹の関係というのがこの映画ではものすごくリアルに描かれている。
この映画のエンドロールは黒バックではなく,結婚式が終わってキムが施設に戻るのを送りだした後,レイチェルが玄関ポーチの椅子にかけてぼんやり結婚式の後片付けを見つめているという場面をずっと長回ししているのだが,その最後でレイチェルはポンとジャンプする。このシーンについて,例えばネット上のレビューでは「姉妹なのに」とか「『やっと帰った』という本心が見えた気がして怖かった」などとの声が多かったのだが,私はこれも,とてもリアルであると思った。特に家族と離れて暮らしている人にとって,久しぶりに会った家族と別れた時,一抹の寂しさの一方で「やれやれ,終わった」という気持ちも抱いてしまうというのはおそらくよくあることで。正反対の姉妹でも最後はわかりあってハッピー,というエンディングはよくあるが(『イン・ハー・シューズ』とか『幸せになるための27のドレス』とか),この映画はそのような終わり方も敢えて避けているという点に慎重な姿勢を感じた。
共存,理解,などという姿勢はとても簡単に表明されるが,当然ながらそんな単純な問題ではない。内在する様々な問題の多くは解決されないまま上から蓋をされて,とりあえずその時その時を場当たり的に取り繕うというのが現実であり,また最善の策なのであろう。レイチェルの結婚式には様々な人種が集っている。レイチェルの夫シドニーはハワイ在住のアフリカンだし,列席する友達にはアジア人もいて,さらに結婚式はインド式である。一見するところアメリカ,ひいては現代世界を象徴するようなcultural hybridity(「文化的雑種性」でいいんですか?)が表れているのだが,共存や理解というのはよくて妥協の産物であり,決して許容できない問題もその中にはいくつもある。そうした問題に真っ向から立ち向かっていくのも,あるいは逆に注意深く触れないのも,どちらも間違っているとは言えないのだろう。「人それぞれ」の対処しかできないというのが現実で,また救いでもあるのだと思う。結婚式の準備の時も結婚式の時も,レイチェルの友人たちが全編通して音楽を奏でているのだが,その音楽が止まるシーンがひとつだけある。そこがとても息苦しい。音楽でもかけていなければとても間が持たないというのが,おそらくは共存や理解といった美辞麗句の現実である。うーん,博士課程に入って3ヶ月弱,ものすごくいい視点をいただきました。研究における「焦点の当て方」「問題の切り取り方」を学ぶ上で映画はとても参考になると先輩にアドバイスをいただいたことがあるが,まさにその通りである。

*1:パットも中毒患者で,キムと同じカウンセリングを受けているようである。

*2:レイチェルの専門は心理学。