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『世界音痴』『もうおうちへかえりましょう』

読書

世界音痴〔文庫〕 (小学館文庫)

世界音痴〔文庫〕 (小学館文庫)

 私の伊達眼鏡には,もうひとつ大きな理由があって,それは女性に好かれるため,というものである。私は女性はみんな男の眼鏡が好きだと信じているのだ。正確には,眼鏡が女の征服欲と性欲と破壊衝動に訴えると信じている。具体例を挙げてみよう。
 仕事机で熱心に考えごとをしている男に,女が不意に口づける。男は一瞬おどろいて逃げようとするが避けられず,いつしかそれに応えて熱いひとときに突入。再び静寂が訪れたとき,満ち足りたシンパシーの中で男は呟く。嗚呼,ゆがんじまったよ,眼鏡,おまえがめちゃくちゃするから。その言葉を聴いて,女は嬉しそうにくすくす笑う。
 以上は私の妄想であるが,このような光景の背後にあるものは何だろう。
<後略>
(「嘘眼鏡」p. 17)

しばらく素敵なエッセイにめぐりあっていなかったが,めぐりあってしまった。今夜は,たった一人の人にめぐりあえたような気がする。何も上に挙げた一節が,私の眼鏡好きと親和性を持つというだけの理由ではない。私は眼鏡をかけた男性が好きなのは認めるが,征服欲と性欲と破壊衝動に訴えられてのことではない。内容も,どちらかと言えばくだらない部類に入ることは,上の一節を読んでいただければすぐにおわかりであろう。私はこの本(と,前に挙げた『もうおうちへかえりましょう』)を読みながら声をあげて笑っている。電車の中で読むときは困る。では何がいいのかというと,言葉のセンスと文体がとても好きなのである。今日,上京していたともちゃんとカポ・ペリカーノへ行って店の前で待っているとき,「とりあえずここ読んでみて」と上記の一節の入った「嘘眼鏡」のページを開いて渡したのだが(要はそれくらい好きなのである),「なんか,やっちゃんの文章みたい」と言われた。光栄なことであると同時に,自分の文章に似た文章が好きだというのは,なんだか自己完結的というか,俗に言えばナルシスティックな気がしないでもない。
この『世界音痴』にはあまりないが,『もうおうちへかえりましょう』では穂村の本業(副業?)であるところの,歌人として他の歌人の短歌を講評した文がいくつかおさめられており,その解釈がまたとてもいい。私はそのせいで,近ごろ短歌に興味を持ってしまっている。
穂村は頻繁に自分のことを「独身で,しかも実家で親と同居している中年」「女性に相手にされない」などなどとキャラクター付けているが,その割に「先日,ラブレターをもらった」だの「先日,ラブホテルで」だのという記述が頻繁に現れるあたり,絶対にそんなことはない。『もうおうちへかえりましょう』のあとがきで,編集者が穂村を「平成の太宰治」と称していたが,まさにそんな気がする。あ,ちなみに「先日,ラブホテルで」で始まるくだりも最高に面白い(と私は思う)ので,せっかくだから引用しておく。

もうおうちへかえりましょう (小学館文庫)

もうおうちへかえりましょう (小学館文庫)

 先日,ラブホテルでシャワールームから出てきた女性に,ああ,びっくりした,そこにいたのか,と云われた。そこにいたのか,って,別に冷蔵庫の陰とかベッドの下に潜んでいたわけではない。普通に椅子に座っていたのである。私はそれほど影が薄いのだ。
 ラブホテルという,もうひとりいるに決まっている空間で,相手に見失われたり,驚かれてしまうのだから,飲み会のように活動的な(?)人々がたくさん集まる場所で自分がどうなるのかは云うまでもない。
<後略>
(「マイナス星人」p. 31)

普通なら「先日,ラブホテルで」で始まるのは大方が武勇伝だろう。なのに穂村はラブホテルで「見失われる」という,稀有で面白いけれども恥ずかしい体験をし,それを飄々と書きつづるのである。「ラブホテルという,もうひとりいるに決まっている空間」というのも面白い。
ああ,もう,ここ数日の思い入れが強すぎてとても冷静なことは書けそうにない。とにかくみなさま,読んでください。重ねて言うが,くだらないエッセイもとても面白い上,本業の「歌人穂村弘」本人はもっと素晴らしく,さらに穂村が選んだ歌もものすごい。いきなり短歌は取っつき辛いが,手始めにこうした歌人のエッセイというのはいい手かもしれない。特に相手が穂村の場合は,なおさら。