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カンガルー日和

読書

カンガルー日和 (講談社文庫)

カンガルー日和 (講談社文庫)

先週の月曜日にいきなりこれを買ったのは,いきなりこの本に収録されている「とんがり焼の盛衰」が無性に読みたくなったからである(これだけ以前に読んだことがあった)。
こんな風に私の読書はいつもとても衝動的で(これを「衝動読み」とでも名付けたい),留学することになったら日本語書籍はとても手に入りにくくなるのに,どうすればいいのだろう。帰国するたびにごっそり買って持ち帰るとかしかないと思うが,上述したようにとても衝動的なので,たとえば夜中にいきなり谷川俊太郎の詩集が読みたくなったりするのである。谷川俊太郎の詩集は持っているから,本棚に駆け寄って衝動を鎮めればそれで済むことだが,今日はいきなり『わたしを離さないで』が読みたくなって困っている。こちらは「いきなり」というと少し語弊があって,正しくは学校の帰りに区立図書館に寄った時に「いきなり」思い立ち,我ながらなんと絶好のタイミング,と嬉々としてOPACで検索したのだが,なんと『わたしを離さないで』は貸し出し中であった。いったい誰が「カズオ・イシグロかぶり」を予測するでしょうか。ちなみに『日の名残り』は在庫であったが閉架にあるようだったし,もう『わたしを離さないで』モードになっているのにそれでは満足できそうもないのでやめておいた。話が脱線気味であるので戻すと,日本語書籍にあふれた日本でさえこのような状態である,いはんやアイルランドをや,ということである。発狂するのではあるまいか。
で,「とんがり焼の盛衰」だが,もとはといえば高校の現代文の時間に担当の先生がプリントを配ったのである。早稲田の一文を出た,見るからに文学青年な感じの先生は,今思えばもっとも色濃くハルキムラカミに染まった世代であろう。この前書いた穂村弘も,「(1983年当時)自分にとって,村上春樹は特別な憧れと羨望の対象だった」と書いていたし。村上春樹ショックをまともに経験した世代を親世代に持ち,自分の世代にも周りにムラカマイトというかハルカイトというか,信奉者が多くいるというのに,今までほとんど村上春樹に触れずに生きてきたのは,(もちろん私のひねくれた考えにもよるが)ある意味奇遇ですらあるのではないかと思う。私自身はやっぱり,村上春樹を好きなわけではないと思う。ふわふわした文体が鼻につく時もある。おそらくそれは私だけではないだろう。でも賛否両論あってこそ本物だと個人的には思っているので,決してこれはけなしているわけではありません。みんなが手放しで褒めるものに何の価値があろうか。

「あなたの応募された新とんがり焼は社内でもなかなか好評であります」と専務が言った。「なかでも,あー,若い層に評判がよろしい」
「それはどうも」と僕は言った。
「しかし一方でですな,んー,年配のものの中には,これではとんがり焼ではないと申すものもおりましてですな,ま,甲論乙駁という状況ですな」

ところで今日『わたしを離さないで』が入手できなかった苛立ちを,バルガス=リョサによって鎮めようとしたのだが,さらに甘かった。ノーベル文学賞を受賞した今,バルガス=リョサに手を伸ばした人間は当然私だけではなかった。こちらはすべて貸し出し中であった。おかげで『緑の家』が読めないストレスまで加わっている。わたしを待たせないで。