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明日をまぶしいくらいにうまく描こうとして

余暇

明日は報告なので,報告原稿の手直しをしているのですが,手直しは容易に加筆に変わってしまいます。帝国主義が最初,「文明化の使命」という,善意だからなおさらたちが悪い,現地民にとってみれば余計なお世話以外の何物でもない使命感から始まり,本人もそうと気づかぬうちに侵略へと変わるのと同じ原理であります。結果,現時点で原稿は9097字。普通に考えて,30分で読めるわけがない。いっそのこと明日,発表の席でいきなり司会の先生から権限を奪い取り(クーデタ),「ご質問,コメント一切受け付けません」という独裁体制を敷けば45分……魅力的にすら思えるあたりが学会報告前夜である。それでも質問をしてくださろうとする方がいないとも限らないから,前もっておかっぱ頭のハビエル・バルデムを雇っておいて(『ノーカントリー』),ああ妄想が飛翔する。もちろんやりませんのでご安心ください。
今日は学会1日めをオーディエンスとして聴きに行き,そのあとみほちゃんが出演する「こだわりのあるピアノ弾きとその仲間達による大演奏会」を聴きに行った。いつも思うがすごい名前。
彼女の出演する第4部には,ピアノの会の後輩であるあずま君も出ていたので,彼の演奏も拝聴することができました。曲目はフランクの「前奏曲,フーガと変奏曲 作品18」。

私はフランクが結構苦手なので,曲目を見た時は正直言って「だぁーフランク」と身構えていたのだが,なんですかこのものすごく素敵な曲は。聴いた感じ,この曲はおそらく,奏者は出来る限り淡々と弾くことを心掛けるべきでしょうね。感情を込めて陶酔して弾いてしまうと,曲自体がロマンティックだから,チョコレートフォンデュしたマシュマロみたいになってしまうでしょうね(私自身はああいうギトギトの甘さは好きだけど,あ,食べ物の話)。しかもこの曲は(まぁフランクだから)バロック調で作られているし。こういう,「感情込めたいのは山々なのだけどそこは我慢!」みたいな曲はもう,悶えるほど好きです。そういうわけですっかりフランクに魅せられてしまった(ありがとうあずま君!)。この曲,もともとはオルガンだからオルガンでも聴いてみたいのだけど,なんかピアノから入ったもので,もうピアノでしか満足できないかもしれません。バッハ=ブゾーニの「シャコンヌ」と同じで。
ついでに。男性はステージでピアノを弾く時,お辞儀の後ピアノの椅子に座り,そこでスーツのジャケットのボタンを外します(動きにくいので)。で,弾き終わったら立ちあがってボタンをとめてお辞儀をするのだが,この一連の動作がなんとも言えずセクシーだと思いました。大変マニアックかつ,一歩間違えれば変態丸出しな意見でした。男性のピアノ弾きのみなさまは,どうぞステージ上でのボタンの着脱にちょっと注意を払ってみてください。ピアノを上手に弾ける男性というのはそれだけで格好いいんだから,あとはこういう細かな所作に(少なくとも一人の)女性の熱い視線が注がれるのよ。強いて言えばジャケットのボタンをはずした後,さっと裾を後ろに払い,反対にボタンをとめる時はちょっとゆっくりめにとめる(客席をゆっくり見渡しながら)のをお勧めします。いや,でもこれ,決して私が変態だというわけでもなく,実はこの動作が好きな女性って結構多いんじゃないかと思うのだが。「ステージ上のボタンの開け閉めが大好きだ」というレディーズ(アンドジェントルメン?),ちょっと恥ずかしがらずに手を挙げてみてくださいませんか。成績や評価には響かないから。
みぽりんのバラードは,コーダを心配されていたようだったが,いやいやどうして,迫力があって鳥肌が立ちました。私もバラードに想いを込めて弾けるレベルになりたいものである。最近の持論として,私自身が恋もしていないのにロマン派が(ましてショパンが)弾けるか!というものがあるのだが。練習中のバラード1番のスランプも,もしかしたらここに起因するかもしれない。
行き帰りの電車ではNever Let Me Goをずっと読んでいた。まだまだ3章の途中である。しかし原書で読むというの,私のような人間にはとてもいいかもしれない。英語力がつくという話ではなく,私はほとんどの場合,小説をひとたび読み始めると読み終えるまで決して離さないためである。英語だと読むスピードが遅くなることもあり,必然的にブレーキがききます。しかしそうでなくても,キャシーがヘイルシャムの思い出をものすごくゆっくりしたスピードで語るこの小説,日本語なら間違いなく一気読みだったことだろう。おかげで最近はもう,夜な夜な「ネタバレ」サイトを見る誘惑と戦い続けています。最後まで見ずに読み終われたら,もはや私は列聖されてもいいような気がする。