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文章のあれこれ

つれづれ

最近,研究室の仕事の関係やその他の用事で,携帯のメールよりもパソコンのメールを使う方が多いのだが,どちらが打ちやすいかはともかくとして,パソコンのメール,なかなかいい気がします。その理由のひとつが,絵文字がないこと。
私は絵文字が嫌いなわけでは決してなくて,むしろ絵文字は好きなのだが,絵文字の弊害のひとつに「絵文字でしか感情表現ができなくなる」というものがあると思うのである。パソコンのメールだと絵文字そのものがないので(あるのはあるけど,使っている人は見たことない),自ずと相手に誤解を招かぬよう,表情豊かな文章を書くという訓練になる。これってなかなか貴重な機会ではないかしら。最近多いらしいじゃないですか,ビジネスレターでも顔文字とか「(笑)」とか「♪」とか使う人というのは。まぁこれは論外としても,やはり言葉の力だけでものを伝えるというのは,できなければならない気がする。もともと日本語にないものを使うなという原理主義者ではないのだが,美学として見ても(とか言ってみる),絵文字や「(笑)」が多用されたメールというのは,何やら色気がないですよね。あけっぴろげな感じで。こういうのはひとつあるだけでも,結構見た目を損ねるもの。以前『トリビアの泉』で,「コピーライターが考える一番効果的な文章は」とかいうような企画で最後に選ばれたのが,「電話をしてもいいですか。」という文章であった。これ,「電話をしてもいいですか?」ではダメだという。要するに,こういうことなのである。いざとなれば,使い方ひとつで句読点だって十分雄弁に語ってくれる。引き算の美学ですよね。
引き算の美学は文章の長さそのものにも言えて,私もこればっかりはまったく人のことを言えないのだが,何やら日本人には,文章は長ければ長いほどよしとの考えがある気がする。「私こんなにいっぱい書けない」と言ったり,「短くてすみません」とわざわざ謝る人がいたり。どうもこれは,長い文章を書くことを是とする雰囲気のある学校教育に問題がある気がしてならないのだが,どうなんでしょうか。「80字でまとめよという問題は75字以上書きましょう」とか。自分の思いを伝えるために,昔の人はたった31文字で書いて送り合っていたのだから,それくらいの長さで手短にまとめる練習をした方が絶対に将来のためになるはず。だいたい学校では作文をやたらいっぱい書かせるが,あの時間の2割でも3割でも「読書をして自分の好きな文体に出会う」ための時間に充てた方が,国語力・文章力の向上のためには余程有益である気がする。おお,文科省に提言してみようかしら。
そういえば夏に南仏に滞在していた時のことだが,その頃私が仲良くしていただいていた男性にメールを送れとぶんちゃんに言われて,よし,じゃあいっそのこと,和歌でメールを送ってみて,しかもその和歌は百人一首の歌から本歌取りしたものにして,彼がそれに対して適切な返歌を送ってくるか見てみよう,という話になったことがあった。「え,何これ?(笑)」とか返ってくるようでは失格だと(何様?)。

アヴィニヨン いく野の道の遠ければ まだふみも見ず サン・ベネゼ橋

さすがに送らなかった。