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ノルウェイの森

映画


期待していた以上でも以下でもなかった。原作を読んで想像していたよりもだいぶお洒落だったが。こういう時に俳優や女優を指して「○○は格好良すぎる」などというのは野暮というもんだが,ワタナベくんはもっと,ただただ無気力に生きている感じの,これといって取り柄もなさそうな中肉中背の男の子を想像していた(だから松ケンはやっぱり格好良すぎる)。水原希子の緑はちょっと違和感があった。緑って,先述のワタナベくんと同様のことになるが,もっとこう辺り構わず喋りまくって,だから友達もそうはいない感じで,別に美人でもなく,でもワタナベくんにとってはいつの間にか大切な存在になる,という感じの女の子を想像していた。水原希子はちょっと透明感ありすぎで,かつアンニュイすぎた気がする。往年のフランス女優みたいな存在感で,少なくとも上辺はけたたましい緑にはそぐわない感じがした。
あと今更だが,ストーリーもやっぱり入り込めないのである。ちょっと,人があっけなく死にすぎだわー。代替可能でありつつ,でもやはりかけがえのない生/性というもの,この物語においてはすごく重要なモチーフだと思われて,読書する時はゆっくりストーリーを追うからスピード感もちょうどいいのだけど,それを映画化するとなると観客はわずか2時間くらいの間でワタナベくんの心の揺れを追うことになり,しかも永沢さんとハツミさんとか,そういったサイドストーリーまで追うことになり,するとこの映画では短い時間の間で大量殺戮が起こることになる。しかもその間,ワタナベくんは心の隙間を埋めるためにありとあらゆる女性と寝ているのだから手に負えない。
でも映画化された作品が原作を超えないというのは,それはそれであるべき姿であるように思う。たまに「映画では全く違う印象を」などと不遜なことを言っている監督等々を見かけるが,それは別にほとんどの人(特に原作ファン)が望んでいないことじゃなかろうか,と思うのである。その点『ノルウェイの森』は,原作を読んでいない人がこれを見て「原作読みたい!」と思うような作品であったかどうかはわからないが,少なくとも余計な脚色をせず,原作に忠実に作ってあったのは確かだと思う。それに加えて,作中人物の心の状態を示す天候の描写(特にトラン・アン・ユン特有の「雨」の効果的な使い方)やら,心の痛みを示す血の描写やら,余計な効果音を一切入れない演出やら,そうしたことこそ監督の力量というものであろう。細かい演出には私もいちいち感激しました。最後,ワタナベが緑に電話をかけて「僕はどこにいるんだろう」というシーンはとても美しかった。