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ゲール語でしゃべらナイト

勉強

ケルト諸語の復興運動に関するシンポジウムでした。2日目の今日は*1スコティッシュ・ゲーリック,アイルランド語,それに加えてマン島ノヴァスコシアパタゴニアウェールズ人移民コミュニティ(!)。
研究対象どんぴしゃりなシンポジウムが開催され,それに出席できるというのはとても幸いなことです。私は19世紀のアイルランド語復興運動を扱っているけれど,今日のシンポジウムでは現在の復興運動の状況についての話を,しかも直接携わっている人たちから聴けるということで,もちろんわくわくしていた。しかし実際に感じたのは,そこはかとない既視感でした。そりゃそうですよ,1世紀半前と同じこと言っているんだもの。みなさまのお話の内容は,私が史料として扱っている機関紙に出てくる言説とほぼ同じでした。すなわち,

  1. 当該言語の持つ,古い古ーい歴史についてのお話(このころはまだこんなに話されてたんだよー)
  2. 当該原語が野蛮だと思われるようになり,駆逐される/衰退するお話
  3. しかし!共同体の財産たる言語が消えてゆくのを憂う心ある人たちは確かにいたのです!
  4. そして勇ましくも,彼らが言語保存のための運動を始めるお話
  5. 今日ではこんな努力がなされています(あんまり悪いことは言わないのが恒例)
    • 特に初等教育バイリンガル教育について。うわー,ゲーリック・ユニオンの言説(1880〜92年)とほんとに同じ。「ゲール語話者の子供たちは英語話者より比較的成績がよい」とまで!全く同じ!
  6. こうした草の根活動が広がれば,言語の未来は明るいでしょう!

こんな感じの論理展開。
いや,確かに面白かったし,メモもいっぱい録った。言語復興運動の言説っていうのは変わらないんだ!というのは,私にとっては大きな発見であったので。しかし私はほぼよそ者で,言語復興運動を客観的に見ているからいいのだけれども,主体的に関わっているはずの人々が1世紀前と変わらないことを言っているって,いいんですかね。ちょっと疑問,いやかなり疑問。しまいにはちょっと苛立ちすら感じてしまった。本当に言語を復興させる気があるのだろうかとすら思った。辛口コメントになって申し訳ないのだが。少数言語は衰退している,これはまぎれもない事実だが,本当に微微たる話者人口増を持ってきて「ほら!私たちの活動が奏功しているわっ!」と主張するのだったら,本当に19世紀末と変わらんぞ。そして19世紀末から今までの間,その微微たる人口増は衰退の歯止めになったかと言えば,そんなことないじゃないの。もちろん不治の病と同じで,「進行を遅らせる」だけでも効果はあると考えるのだったらそれでいいけれども,復興させたいんでしょう。だったらもっと,別の方策を考えないといけないのじゃないかしら。特にアイルランド語の復興運動について,「20年戦略がある」と言いながらその内容をはっきり言わず,「この20年の間に話者人口を25万人にします」という最終的な目標だけが述べられていた。あれじゃあねえ,と会場にいらしたアイルランド語の先生とお話したのだが。アイルランドは経済的にも政治的にも今とんでもなく大変な時期で,政権交代も控えていて,だったら次の首相にどれだけ効果的に訴えかける方策があるかとか,どれだけの予算を割いてくれそうかとか,そういう具体的な話を聞けるのだったらいいけど,「20年戦略」とまで言っておいて内容を言わないなんて,本当に1870年代のSPIL(Society for Preservating Irish Language)と変わらないじゃない。
これ,日本の文教政策にも通じるところがあるかと思うのだけど,やっぱり元凶としてはものすごくロマン主義的な考えが根底にあるのじゃないかと思うのである。とりあえず言語の衰退は「悲しい」から「復興させなきゃ」みたいな感じの。誰もがそれを当然視して疑わないと,少なくとも復興論者たちはそう思っている。疑問視するのは金と目先の利益にとらわれた俗物だと。しかしそういうことじゃないのでは。言語はアイデンティティの根源だ,共同体の財産だといくら声高に叫んだところで,実際衰退しているという現実自体が,彼らの運動と世情との乖離を物語っている。言語なんか滅びてしまえと言う人はそんなにいないと思うが(ただ,ダブリンで私がお世話になったおうちのご主人は思いっきり言っていたが),大多数の認識としてはたぶんこうである。言語がなくなるのは寂しい,でも誰かが保護してくれればいい。自分はやらない。それでも衰退するんだったら,悲しいけど仕方ないよね。まぁ,英語もあるしね。ラテン語やギリシア語みたいに,学術的な対象として残ればまぁそれでもいいか。で,「2位じゃダメなんですか」ではないが,「日常言語として残らなきゃダメなんですか」「学術対象じゃダメなんですか」という問いに対して,全国民が納得し言語を守らなければならないと思うような理屈を,たぶん復興論者たちは持ち合わせていない。1世紀半くらい前からずっと。考える時間は山ほどあったのに。なんなら今日,特攻のつもりで質問してみればよかったが,これはある意味テロ行為ですよねぇ。
と,こういうことを考えていたら,本当に何とかしなきゃいけないという気にすらなってきてしまった。とりあえずは研究の方向だが,やはり「言語復興運動についての批判言説」をもう少し掘り下げて見てみようと思う。修論が終わったころから漠然と考えていたことだが。で,それが終わったら,ゲーリック・リヴァイヴァルの他団体(演劇やスポーツ)について考えてみましょう。特にスポーツとの比較は面白いと思う。ハーリングやゲーリック・フットボールは大人気なわけだし。似たような研究は多いだろうけど,それが主眼じゃないからまぁいいか。やっぱりね,どうせ近現代史をやっているのだったら,過去から学んだことを生かして政策なり何なりに提言できるくらいの研究をしてみたいじゃないですか。外国人とは言え,足を突っ込んだなら最後まで埋もれてしまえ。博士1年目も終わる頃になって,なんだか面白くなってきました!

*1:シンポジウム自体は昨日からだったのだが,今日だけ出席。