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楽興・その後

余暇

この土日はもう,好きなことだけして過ごしました。ひさしぶりに『冷静と情熱のあいだ』を読み返してみたり。はぁ,幸せ。春休みは研究やらもろもろの準備やら,がんばります!いきなり,4月か5月に現代史研究会で発表することになってしまったし。
ところで,昨日書いた「楽興」。今日も聴こえてきた。だいたい22時を回る頃から聴こえてくるので*1,今日は心して耳を傾けてみた。いつも同じところでつまずいているのが残念だけど,あらやだ,結構上手だわ。そりゃこのマンション,基本的には音大生用マンションだからおそらくはプロが弾いているわけで,上手なのはまぁ当然なのだが。
上手な「楽興」を聴くとどうなるか,昨日書きました。しかしこれ,不思議なもので,やっぱり男性の奏者に限って,なんですよね。こればっかりはやっぱり,疑似恋愛なんでしょうね。もともとその奏者のことが好きなんじゃないか,なんていうのは野暮ですよ。いい演奏との出会いというのは本当に,一目惚れみたいなものですから。そして今回のように,奏者を見ずして演奏を聴いただけでも,奏者が男性か女性かくらいはなんとなく予想がつく(つきますよね?ピアノを弾くみなさま)。男性の弾き方は女性にはできないし,女性の弾き方は男性にはできないので(男性「的」/女性「的」は可能だとしても)。そして我が家に届くこの音は,おそらく,女性によるものである。とか言って男性だったら恥ずかしいが,たぶん。
しかし,もしもこの「楽興」が男性の手によるものだった場合……理想を言えば『ハチミツとクローバー』の真山みたいな方に弾いていてもらいたい。外見も中身も。ここでその素敵な「楽興」プレイヤーとの運命の出会い等々について妄想をめぐらしてみたいものだが,しかしちょっと待った。昨日書いた内容とは矛盾するようだが,「楽興の時」を弾きこなす素敵な男性というのは決して,自分の彼氏などという,卑近な存在であってはいけないのです。私はあなたのことを好き,でもあなたの眼中に私は入っていない,というくらいの関係でなければ。クラシック音楽を美しく響かせるもの,それは手に入りそうでありながら決して手に入らないもどかしさだというのが持論です。曲についても,またその曲が捧げられた人物についても。ベートーヴェンと不滅の恋人とは結ばれず,失われた小銭に対して怒り,シューマンはクララと結ばれながらもクララを決して自分だけのものにはできず,ショパンシューマンにバラード2番を献呈しながらも「バラード1番の方がよかった」とか言われたりする,ああ,世の中って残酷にできている。その残酷さに抗って,いたずらに消耗するのは得策ではありませんね,むしろ楽しまなくては損ですね。

*1:うちのマンションは23時まで演奏可。